麻生太郎「さっさと死ねるように」発言の真実

  • 2013.02.03 Sunday
  • 14:03
 

"It is amazing that people who think we cannot afford to pay for doctors, hospitals, and medication somehow think that we can afford to pay for doctors, hospitals, medication and a government bureaucracy to administer it." - Thomas Sowell

 

『医者と病院の費用、そして薬の価格は高すぎて人々が負担するのは不可能だ、と考える一方で、医者、病院、薬、そしてそれらを管理監督する省庁のコストは負担できる、と考える人があまりに多いのには驚かされる』 トマス・ソーウェル

 

 

麻生太郎・副総理兼財務大臣が「失言した」ということで物議をかもした。 医療費についてこう語ったのが失言・暴言だったというわけである。

 

「いいかげん死にてえなと思ってもとにかく生きられますから」

「しかもその金は政府のお金でやってもらっているなんて思うと」

「ますます寝覚めが悪い」

「さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない」




麻生氏は見識はさておき、それほど腹黒い人間には見えない。 たぶんビールでも飲んだらもっと口が軽くなって面白いことを言うのではないか。 

 

麻生氏が熟慮を重ねた末に上の発言をした、とは思えない。 発言の軽さは昔からである。 その軽さ故に図らずとも真実が口をついて出たに過ぎない。 滑稽なのはこの発言をつかまえて、やれ失言だ、やれ暴言だ、と騒ぎ立てる左翼メディアである。 この発言は「失言」でも「暴言」でもなく、本人は全く意図していないと思うが、まさしく社会主義化した医療がもたらす恐ろしい結果を言い表したに過ぎないのである。

 

医療社会主義化、すなわち、国民皆保険制度・医療行為への規制・医薬品開発への規制は否応なく医療という一連の経済活動を阻害する。 既に国民皆保険が空気のような存在である日本では国民皆保険に疑問を呈するのは「空気の存在に疑問を呈する」のと同じくらい異様なこととして受け止められる。 だがその道を進みつつあるアメリカを見れば、市場経済から計画経済へと移行する過程において何が起こるかが見えてくる。

 

アメリカでいわゆるオバマ・ケアと呼ばれる「医療保険制度改革法案20103月に当時両議会多数派であったアメリカ民主党によって強行採決され、オバマ大統領によって法制化された。 ナンシー・ペロシ下院議長が採択前に言った「どのような内容なのか皆が知れるようにこの法案を採択しましょう」という言葉が有名になったように、国民に内容を説明して是非を問うこともされず「皆さんはこれから全員保険でカバーされるようになります。 これでようやくまともな文明国になります」というような美辞麗句だけが先行した。

 

2014年からオバマ・ケアが効力を発揮し、すべての国民が医療保険を購入することが義務づけられ、違反すれば罰金が科されるようになる(個人所得の2.5%と見積もられている)。 それに向けて企業も病院も医師も製薬会社も個人も準備を進めている。 2013年に入った現在、既に多くの影響が出ている中で人々は徐々に気づき始めている。 それは「保険適用される」ことと、「医療行為が受けられる」ことは全くの別物である、という事実である。

 

オバマ・ケアは人々に保険購入を強制する一方で、保険会社には例えば妊娠中絶やバイアグラ(性犯罪者も含め)といった従来個人で負担すべきものとされてきた費用をもカバーするよう義務づけている。 それがどういう結果になるか。 Newsmax.comが伝えるDoctor Patient Medical Associationアンケート調査によると、実に83%もの医師達が、オバマ・ケアが発効した際には医師を辞めることを考えている。 なぜか。

 

人は保険を持てばそれを使おうとする。 些末な風邪や怪我でも医者に行くようになる。 医師は増える患者をさばいていかねばならない。 保険関連の煩雑な書類仕事は激増する。 単純化して言えば、医師達は今後、減少する収入の中、より多くの患者を診ていかなければならなくなる。 しかも治療方法に関しても国家が介在してくるので自身の裁量による医療行為がますますやりにくくなる。 医療訴訟のリスクも益々高くなる。 辞めたくなって当然であろう。

 

そしてそこから容易に推測されるのは、若い学生達が医師という職業に対する希望を失い別の道を歩むであろうということである。 日本でも原発叩きが始まってから既に原子力工学に進む学生が減少している。

 

辞める、といっても状況は人それぞれである。 定年間近であれば引き際を早めるだけである。 だがキャリアの階段を上り始めた人や既に活躍の最中にいる医師達にとっては大変なことである。 医師というのは高校を出てから大学・薬科大学院・インターンシップ・レジデンシー・フェローシップ等等と優秀な学生が10数年かけてやっとたどり着く職業である。 嫌気がさしたから不動産にでも転職するか、という話ではない。 日本で既に起きているように、徐々に同僚が減りるなか、多くの医師達が悪化する労働条件の中を過労寸前でもがくように頑張らざるを得ないはずである。

 

国家政府による医療という市場に対する介入は市場にもともと存在する調整機能を阻害する。 すなち、市場(患者)の商品購買力(医師・医療サービス・医薬品)を人為的にあげつつ価格を統制することにより、それらサービスの供給を減少させ(医師不足)、結果的に人々が医療を受ける機会を少なくする。 日本では名目上誰もが平等に医療が受けられることになっているが、そのようなおとぎ話を信じる者はいない。 高名な医師にかかるには紹介状と高額な謝礼が必要となるのは常識である。 一種のブラックマーケットの形成である。

 

そこで改めて麻生発言を眺める。 法制化ということは、誰もがそこから逃れることが出来ないということである。 強いて言えば、金持ちは金でなんとかできる術があるが、低所得者は完全にお手上げである。 政府の慈悲にすがるしかない、という状況になる。 しかし所得に関係なく、日本人は元来道徳心の強い国民である。 麻生の言った「政府のカネで高額医療をやってもらてると思うと寝覚めが悪い」はまともな感覚を持つ人間なら誰もが持つ思いである だから麻生が言うように「皆のために早く死のう」となる。 名だたるメディアが一切伝えないのは、問題はそれを「言った」ことにあるのではなくて、人々の思考を死へと向けてしまう国民皆保険という牢獄制度の存在にある、という事実である。

 

 

このグラフを見れば分かるように、人類の歴史とは、いわば長寿化の歴史である。 平均寿命が16歳くらいだった縄文時代から平安、戦国、江戸、明治、大正、昭和、そして平成の今7080歳となった。 その今、なぜ「もっともっと生きよう」ではなく、国に迷惑をかけないように「早く死なねば」という発想なのか。 それは社会主義の必然である歴史の後退に他ならない。

 

 

追記1

麻生発言で問題なのは、「政府のカネで高額医療をやってもらてると思うと寝覚めが悪い」の「政府のカネ」の部分である。 誠に政治家というものは、「政府のカネ」を「国民のカネ」ではなくて「政府のカネ」だと思っている。 そこが、問題である。

 

追記2

医療財源不足によって産婦人科不足が生じている。 これは国民に「生まれてくるな」ということにつながる。 終末医療削減の「老人は早く死んでくれ」という発想と相まって国家滅亡へとつながる。

 

 

 

 

 

 

医療の危機

  • 2011.08.01 Monday
  • 00:17
 

「市場原理による効率追求のため、医師は激務を強いられ、それが医師不足へつながり、病院の閉鎖や診療科の廃止が相次いでいる、出産難民が急増している」

 

これは左翼の作り話である。 これらの状況があるのは本当だが理由が違うし責める対象が全然違う。 これは左翼が一番得意とする論法である。 自らが作り出した問題を、他者の責任に転嫁する。 そしてもともとこのような問題を作り出した政策を政府の権力で更に推し進めようとする。

 

「誰でも医療を受ける権利がある」というもっともらしい言葉がある。 人間にはそのような「権利」はない。 人間には金で商品を買う権利がある。 医療は商品である。 治療行為は医師の労働によるサービス。 医薬は製薬会社の労働による商品である。 サービスや商品を受けとるには対価が必要である。 対価を払わずにただでサービスや商品を受けるのを窃盗という。 そんなことをする権利は誰にもない。 「人の労働の成果を平等に分配できる」などというのはマルクス・レーニン主義の思想である。 左翼思想は全ての良きものを悪しきものに変える。 医療も同様である。

 

国民皆保険制度というのは左翼思想を起源とする。 自分が払うのは一部だけで後は医療を受けていない他人が負担するのである。 医療を提供する方も受ける方もコスト感覚がなくなるから風邪程度で大げさに病院に行くのもいるし、必要も無いのに社交感覚で病院通いするのもいる。 収支が合わなくなるのは当然である。 

 

医者というのは医療と言うサービスの提供者である。 自身の職能でサービスを提供するという点で、大工やバイオリン奏者やセールスマンと同じである。 要するに患者を治せばそれでよい。 手に技術があればそれでよい。 それがおかしなことに国家の免許制なのである。 高い大学の医学部に行き、大学院に行き、それからどうするのか知らないが、とにかく医者になるのは大変である。 それが割に合っているうちは良かった。 しかし今行政の支出削減で人が足りず激務にさらされる現状では割に合わない。 なり手が足りなくなって当然である。

 

医療を「権利」と思い、国家の免許によって安全が「保障」されていると勘違いした人間達は治療がうまくいかないと医療ミスだと騒いで医者や病院を訴える。 一生懸命やってうまくいかず、それで患者やその家族に訴えられたのではたまったものではない。 なり手が足りなくなって当然である。

 

解決方法は簡単である。 国民が保守化し、賢くなれば良い。 実現が簡単とは言わないが説明は簡単である。 国家・政府の役割は医療ではない。 医療は医者や病院や製薬会社の仕事である。 国家・政府の仕事は国防、治安維持、インフラ整備である。 医療と言うサービス、医薬という商品のやり取りに国家が介在してよい理由は何もない。 

 

具体的に言えば、医師を免許制でなく、自由開業性にすれば良い。 何の免許も必要なし。 なりたい者が何とか医院とかいって看板を出せばよい。 医薬も厚生省を廃止して各社が自由に出したいときに出せばよい。 国民皆保険制度を廃止して、個人が必要に応じて民間の保険に入ればよい。

 

医療の安全はどう保障するのか、と言う人間がいるだろう。 事故は必ず起こるものだ。 人間死ぬときは死ぬのである。 そんなときは諦めるしかない。 

 

そうはいっても死にたくないのは人情である。 医療の安全というのは医師の腕によるものである。 国の認定によるものではない。 大昔にとった免許が何の保証になるか。 免許は安全の保障ではない。 免許があってもヤブやへたくそはいくらでもいるではないか。 安全の根拠は実績である。 

 

実績の積み上げこそ保障である。 名のある医師に患者が集まり弟子が集まる。 未経験者は下積みからたたき上げて医師となる。 一つ一つ実績を積み上げていくから間違いがない。 技術が伝承される。 モラルも伝承される。

 

今は情報などいくらでも発信出来、手に入る時代である。 何とか派の先生だから安心だとか。 逆にどこの骨とも知れない医者は信用できないとか。 口コミで情報が広がる。 知っている人が治療を受け、良いサービスを受けられた、というのが一番の安心材料である。 それに医師や病院も自分で情報発信すればよい。 国の免許など無くても名のある大学や病院で研鑽を積んだことが分かればそれも安心材料であり売り文句である。

 

健康管理は個人の責任である。 病気になってそのままほったらかすのも治すのも個人の責任だし個人の自由である。 医師も病院も薬も、選ぶのは個人の責任であって国・政府の責任範囲ではない。 国・政府の責任は、例えば患者と病院の間の契約の遵守を強制することと、違反者を罰することである。 変な権利意識で個人の責任感が欠如すると 医師や病院に責任転嫁する。 何かあるとすぐに訴える。  訴訟の危険性を避けるために費用がかさむ。 訴えられれば医療どころではない。 ストレスがかかる。 医師が不足する。 少ない人員でこなすので負担がかかる。 医療ミスを起こす。  更なる訴訟。 更なる医師不足。 悪循環である。

 

医師になる門戸を開き、多数が競争し、情報を発信する。 優れた医師は治療費が高いが、新米は安い。 自身の病気と経済状態に応じて選べばよい。 個人が個人の責任で選ぶ。 患者が医師を信用し、医師は患者を信用する。 うまく治ればよい。 うまくいかなければ、次の手を考えればよい。 最悪の事態になれば、その時は諦める。 そのくらいの割り切りが出来るレベルに国民がなれば、現在よりもずっと良い医療が実現するはずである。

 

完全自由経済化、これがあらゆる問題を解決する秘訣である。

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