「冷凍カツ横流し」事件に見る不幸の根源

  • 2016.01.21 Thursday
  • 00:14

「冷凍カツ横流し」問題が過熱している。

我々は誠に不幸な国民である。この極めて矮小な問題に対し、その問題に関わる地方自治体と、それを報じるメディアと、それに反応する国民とで不幸の饗宴を盛り上げている。

壱番屋はダイコーへ冷凍カツの廃棄を委託した。ダイコーは壱番屋に「廃棄して堆肥にする」との約束を破ってみのりフーズへ転売、みのりフーズは食品卸業者へ販売し、それがベントーや惣菜となって市場に流れた。

壱番屋がカツが廃棄した理由は製造工程で8ミリのプラスチック片が欠けているのを発見し、それがカツに混入した可能性があるからである。仮に本当にカツに混入しているとして、そして誰かがそれを食べてしまったとして、それで即健康被害がでるのかといえばそうではない。

誰かが食中毒で死んだから発覚したのか?そうではない。壱番屋の従業員が店で売られているのを発見したからであった。

これは業者間の契約違反であり、壱番屋は被害者である。

まず壱番屋がカツを廃棄したのは当然である。なぜならばプラスチック片が一つでも食材の中に見つかれば壱番屋のブランドに傷がつく。傷がついたブランドは容易に回復することはできない。よってそのリスクをとるくらいなら廃棄してしまえという決定はまっとうなリスク回避である。

そして壱番屋はダイコーに廃棄を委託したわけだが、ここの経営者の素質が悪く、堆肥にすると偽って他の業者に販売した。壱番屋が契約違反をたてにダイコーを訴えるならば、それは全く正当である。契約違反をした会社は相応の報いを受ければよい。

契約違反をする会社は放っておいても受注が減るものである。受注が減れば価格を落としてでも受注しなければならない。それでもうまくいかなければ最後は市場から撤退である。これが市場の自浄作用というものである。

しかし警察が捜査官を派遣して大々的に捜査をしなければならないような問題かとえば否である。なぜならば一般消費者は危険に晒されていないどころか何ら不利益を被っていないからである。

それどころか実質的には人々が安くてそれなりにうまいカツを食えて助かったくらいである。

このような「事件」が明るみにでれば、それを買って食べた人間にしてみれば良い気はするまい。だがベントーに高級食材が使われていると思う人間がいるであろうか。昔からベントー・惣菜というものは「まだ食える廃棄品」をかき集めて作るものであるというのは常識である。

ところで世間が大騒ぎしているこの「事件」でいくらの金が動いたのか?

ダイコーがみのりフーズに売ったカツの数量は全部で61万枚。ダイコーの買いは約33円、売りは約40円、差額は約7円、よって粗利は約4百27万。そこから経費を差し引いていくら残るのか。数名の営業部員の数か月分の給料が出るかどうかといったところだ。

今、我々は政府による無制限な支出のために一人当たり830万円もの借金を背負っている。この事件で「儲けた」会社でも一人の人間の借金すら帳消しにできないのである。公的社会福祉という壮大なる詐欺が国家ぐるみで行われている。

この巨大な犯罪を野放しにする一方でこれらちっぽけな会社のちっぽけな不手際に連日血道を上げる。関わった会社を叩いて喜んでいる。

悲しくもあり、滑稽でもある。

スキーバス転落事故に見る不幸の根源

  • 2016.01.20 Wednesday
  • 23:22

新聞に見出しが躍る。

スキーバス転落!
下限額割れ受注横行か!


これを読んで読者はどう反応するであろうか。

スキーバス転落は痛ましい事故である。多くは大学生であったという。そこまで育てた親にとっては心痛察して余りある。

だが「下限額割れ受注」が事故の原因なのか?警察が直接の因果関係を立証したのか?記事にはそのような事実は一切書かれていない。なぜならばそのような立証はされていないからに他ならない。

この見出しは既に「下限額割れ」を断罪している。既に「下限額割れ」が真犯人であるとの世論が形成されている。

関連性が無いというのではない。関連性は否定することはできまい。しかし・・・

なぜ事故が起きたのか。本件に関する知識は全くないので断定は不可能であるが推測は可能である。

 
  • 事故が起きた。なぜか?
  • それは運転手が眠ってしまったからである。なぜか?
  • 運転手は疲れていたからである。なぜか?
  • 運転手は一人で多くの仕事を抱えていたからである。なぜか?
  • 当該バス会社では運転手が足りなかったからである。なぜか?
  • 十分な数の運転手を雇うことができなかったからである。なぜか?
  • 運転手のなり手が少なかったからである。なぜか?
  • 政府の建設事業に人材が流れているからであった。

ではバス会社は新たな人材を雇って運転手として育成すればよかったではないか?
 
  • それは不可能であった。なぜか?
  • 人を安く雇えないからであった。なぜか?
  • 人材の価格(賃金)が規制されているためである。

バス運転の技術の無い人材は安く雇わなければ訓練コストをかけて育成する意味が無く、雇用にあたっては政府の決めた「最低賃金」を守らなければならず、それでは採算が取れないからである。

では素直に下限額以上の額で受注すればよかったではないか?

 
  • それは不可能であった。なぜか?
  • それでは受注できないからであった。なぜか?
  • 旅行会社から下限額以下での要求があるからである。なぜか?
  • 下限額以上のコストでは旅行社が顧客を獲得できないからである。なぜか?
  • 消費者心理が冷えているからである。かぜか?
  • 景気が低迷しているだけでなく増税不安があるからであった。なぜか?
  • 政府が無制限な支出と規制で経済を殺しているからであった。

国土交通省が今回の事件を受けて「特別監査」を行っているとか。笑止千万である。

政府が問題の種を巻き、問題を発生させ、そしてその問題を「解決」するために介入する。世の中で問題視される現象の全ては政府によって引き起こされるものであると断言してもよい。

このような事件が起こるたびに繰り返される、「いつもの流れ」である。これが繰り返されるたびに我々は気付かないうちにガーゼで首を絞められるがごとくに我々自身の手によって絞殺される運命にある。

ジョン・レノン生誕75周年・”イマジン”に想いをよせて

  • 2015.12.16 Wednesday
  • 14:29

ジョン・レノンといえば世界的に有名な歌である”イマジン”。



20世紀における最も偉大な歌とも評されるこの”イマジン”。世界中の多くの人々に愛され、そして永遠に歌い継がれていくに違いないこの”イマジン”。

これは邪悪な歌である。

ジョン・レノンやオノ・ヨーコの個人的なことについて触れるつもりはないし、彼らを悪しざまに言うつもりはない。彼らの人生は彼らのものである。だがこの歌は彼らの手を離れて神格化され、語り継がれていく。忘れ去られることは恐らくはないであろう。

我々はこの歌の邪悪さを理解し、そして次世代に受け継いでいかなければならない。

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky 
Imagine all the people 
Living for today...

想像してごらん、天国なんて無いのだと
やってみれば簡単だ
僕らの下に地獄なんて無い
僕らの上には空があるだけ
想像してごらん、みんなが
ただ今を生きるならばと


「天国もなければ地獄もない。人間はただ”今を”生き、寿命がきたら死んでいく。人間はそれだけの生きものである」

この世で善行を積めば天国に行けると思うからこそ、たとえ時には割に合わなくても、あるいは死に直面しても人間は良き行いをするのである。天国や地獄を否定し、”今を生きるだけ”ならば人間は善行を積む理由が無い。当たり前である。”今を生きるだけ”ならトコトン私欲を追求したものが勝ちである。

「ただ今を生きるならば…」

人間が動物と違うのは「ただ今を生きない」ことである。人間は今自分があるのは過去に生きた人々のおかげであり、自分は未来の世代を育んでいく義務があること、過去から引き継いだ有形無形の遺産を未来の子孫へと引き継いでいく義務があることを知っている。だから人間は人間なのであり、文明と文化を創造してきたのである。

「ただ今を生きる」だけならサルやゴリラやチンパンジーと同じである。

Imagine there's no countries 
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too 
Imagine all the people
Living life in peace

想像してごらん、国なんて無ければと
それほど難しいことじゃない
殺す理由も死ぬ理由も無い
そして宗教も無い
想像してごらん、みんなが
ただ平和に生きればと...


国があることの有難さ。

ジョン・レノンはイギリス人だから彼にとっての国はイギリスなのかもしれないが・・・

日本はその歴史を神話の時代にまでさかのぼり、一度たりともその血が途絶えることのない天皇家をいだく世界で唯一の国である。ロシア、中国、北朝鮮、韓国…周辺のこれらの国々と我が国の歴史を比べてみればよい。

国境があるからこそ日本はこれらの国々ではなく日本であり続けた。これらの国々は蹂躙と分断と破壊と殺戮を経験してきた。

国境をとっぱらったヨーロッパで現在恐ろしいことが起きている。




我々の国がこれらの国々ではなかったことに感謝である。

国があるから家族の命と財産が守られる。そしてその国を脅かす者がいるから戦争がある。国を守るために自らの命を犠牲にして戦う人々がいる。それが殺す理由であり、死ぬ理由である。

宗教がなければ平和なのか?宗教を否定した共産主義がいかに多くの人命を犠牲にしたか。

そもそも宗教の無い人間などいまだかつて存在したことがあろうか。無宗教であるという人々が地球温暖化や公的社会保障といったカルト宗教を信仰している姿は珍しいことではない。人間と宗教は不可分である。

人間に善を行うことを命じるのは法律でも条令でもなく。人間を善に駆り立てるのは良き宗教である。それは太古から現在に至るまで変わらぬ真実である。

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us 
And the world will be as one 

僕は夢想家だと言われるかもしれない
でも僕は一人じゃない
いつかあなたも僕らの仲間になる
そして世界はひとつになる


数多くの夢想家が存在した。夢想家は決して「一人じゃなかった」。夢想家が集団を形成し、権力を握り、そして大量殺戮を行った。それが20世紀の歴史である。

Imagine no possessions 
I wonder if you can 
No need for greed or hunger 
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

想像してごらん、何も所有しないならと
あなたに出来るだろうか
貪欲も空腹も必要ない
人はみんな兄弟
想像してごらん、みんなが
世界を分かち合えたらと


かつて何世紀も人間は貧しい存在であった。だがいつしか人間は「所有すること(私有財産)」によって豊かになった。そしてそれが更に富を増やす原動力を与えた。富が増えたことによって社会全体が豊かになった。金持ちも貧しき者も豊かさを享受した。

「所有」を否定したのが共産主義であった。「出来る」と思ったのが共産主義であった。「世界を分かち合える」と信じたのが共産主義であった。

そしてそれらを実行して大量殺戮を行ったであった。

貪欲も空腹も必要ない?

貪欲は人間の性である。貪欲でない人間がいるであろうか。人間の性を変えられると信じたのが共産主義であった。

共産主義の指導者は富を独占し、人々は飢餓でバタバタと死んでいったのであった。

かれらは惨めさと空腹を「分かち合った」のであった。

You may say I'm a dreamer 
But I'm not the only one 
I hope someday you'll join us 
And the world will live as one 

僕は夢想家だと言われるかもしれない
でも僕は一人じゃない
いつかあなたも僕らの仲間になる
そして世界はひとつになる


世界を一つにせんとする邪悪な企みがある。それは国連である。

国連において人権委員会の議長国はイランである。国連において非難決議の最大の対象となっているのがイスラエル。

国連は悪の巣窟であり、夢想家の溜まり場である。

「世界はひとつになる」

この夢想を実現するために国連は地球温暖化というカルト宗教を布教する。共産主義は冷戦で敗退した。だが地球温暖化教として復活した。このカルト宗教によって我々は富を「分かち合う」ことを強制されている。

やってみれば簡単だ・・・
それほど難しいことじゃない・・・
あなたも僕らと一緒に・・・


追記:我々は一刻も早く国連を脱退すべきである。そしてアメリカ、イスラエル、英国といった自由主義を志向する国々と新たな連盟を構築すべきである。

国が婚活援助 - 政府の大活躍は止まらない

  • 2015.11.29 Sunday
  • 17:11
 

加藤勝信1億総活躍担当相は14日、テレビ東京の番組で、少子化対策の一環として国の補助金で自治体が実施する「婚活」イベントについて、「子どもが生まれやすい環境をつくる。結婚や出会いの支援をしっかりやっていかなくてはならない」と述べ、必要性を強調した。【時事ドットコム 2015/11/14】


国の補助金(税金)で自治体が実施する「婚活」イベント・・・

そのうち、国は補助金(税金)で「子作り講座」を始めるのではないか?

今、アメリカで行われている共和党の大統領選挙候補者指名獲得戦において候補者同士の論戦が繰り広げられている。その中で繰り返し出てくる言葉がある。

「政府が問題をつくりだし、それを解決するという名目で政府が介入する。それが社会主義の始まりである。社会主義は富を生み出さない。社会主義は富を食いつぶすだけ。だから我々は政府を取り戻し、政府の領域を制限しなければならない」

これが本来の保守の考え方である。

政府介入や社会主義が悪しき結果を生み出すのは洋の東西を問わない。日本だから、アメリカだから、ヨーロッパだから、アジアだから、ということではない。社会主義はどこにおいても惨めさを生み出す。

子供の数が急激に減少している。それは結婚が減少しているからであり、結婚年齢が上がっているからである。逆に言えば、結婚が減少せず、結婚年齢が一定であれば少子化するわけがないのである。

結婚が減少し、結婚年齢が上がっているのは、政府がそのような行動を促す政策をとっているからである。

例えば大学助成金。

政府が私立大学にも助成金を出し、雨後の筍のごとく全国に大学や短大が林立。大学に入りたい人間なら誰でも入れる環境である。よって「大学進学率」はうなぎ上り。50年代に8%弱だったのが2000年代には50%まで上がっている。

男も女も皆大学へ。「結構なことじゃないか」と思いきや、大学生として「遊んで」過ごした若者(特に男)は社会に出てもすぐに稼げるわけではないから結婚相手としてはイマひとつ。それに「遊び」を覚えた若者は大学を卒業しても「遊びを捨てる(=結婚する)」見極めがつかない。結果ズルズルと年を重ね、女性は気がついてみると30も半ば。すると今度は婚活市場における価値が低下。だが染みついたプライドは捨てられず、更にズルズルと。では男性は若い女性と結婚するかといえば、若い女性のほうはやはり「オジサン」とじゃアレだからと若くてハイスペックな男性を探す。

よって結婚は減少し、少子化が進む。

これが唯一の少子化の原因と言っているのではない。沢山ある原因の一つであり、社会問題は政府が作り出す、ということを説明するために一例を挙げたまでである。

政府がそもそも問題を作り出したのだから、政府がやるべきはその問題を解決する名目で介入することではない。そもそも政府が介入したから問題が発生したのであって、更に政府が介入すれば更なる問題が起きるだけである。

しかしこの一例ですら理解していない政府は、あろうことか「女性が輝ける社会を目指す」と銘打って「女性活躍推進法(大企業や国、地方自治体に積極的な女性の登用を促すため、数値目標の設定と公表を義務化)」なる愚法を成立させている。

当たり前だが、女性が「社会進出」すればするほど結婚は減少するのである。女性は「自分より稼ぐ男」と結婚する生物である。女性が稼げば相対的に男性の優位性は減少し、よって結婚相手としての魅力は減少し、よって結婚が減少する。

少子化対策をする、と言いつつ少子化促進し、それを横目に「一億総活躍だ!」というのであるから呆れたものである。

もはや怒りを通り越して脱力するのみである。

政府は婚活サポートに予算25億円を計上しているそうだが、そのカネはどこからくるのか。天から降ってくるのではない。我々の財布からくるのである。我々はそのカネを取られているのである。

政府が作り出した問題の原因は手つかずで、「対策にもなっていない対策」を実行するために我々はカネをむしり取られる。

ハタから見れば喜劇であろう。

我々にとっては悲劇である。

ハロウィン、衰退日本の縮図

  • 2015.11.01 Sunday
  • 17:12

かつては聞いたことすら無かった「ハロウィン」という行事がいつの間にか日本でも定着してきたようである。誰が仕掛けて誰が広めたのか知らないが、近年かなりの盛り上がりを見せているようである。しかし、いかにも現代の世相を反映してか悪趣味かつ刹那的かつ破壊的である。

楽しみは大切であるし、楽しみ方は人それぞれである。だが楽しみと狂乱との間には隔たりがある。警察が出動し、ゴミが散らばり、店舗の商品が踏みつけにされ、という事態に至っては楽しみどころではない。

この状況を快く思わない人は多い。「異質なキリスト教文化を日本に持ち込むな」と主張する人もいる。キリスト教は教会音楽やクリスマスといった清らかで美しい文化を育んできた。しかしハロウィンはキリスト教文化ではない。ハロウィンはキリスト教伝播以前のケルト文化発祥であり、それがアメリカで祭りとして発展したものである。

アメリカでも敬虔なキリスト教徒の間ではハロウィンを死と闇を称揚し、神ではなく悪魔を崇拝するものであるとして唾棄する人々もいる(当然子供が参加するのは禁じる)。「まあ罪のない子供のお楽しみだし、いいじゃないの」という人もいる。いろいろいるが、はっきり言えるのはハロウィンがキリスト教文化ではないということである。

ハロウィンはアメリカで子供達が「お菓子くれないと悪戯するよ」と言いながら近所の家々を回ってお菓子をもらう行事である。

だがこの習慣は、近所の家々に住んでいるのがどのような人々なのかを皆が知っているような相互関係の強い町だからこそ可能なのであって、隣に住んでいるのが何者なのか得体が知れないような環境ならば到底無理である。

Kids Halloween fun! Trick or Treat?



映像の中で父親らしき人物が女の子らと一緒に近所を回りながら「ちゃんと挨拶!」とか「お礼言いなさい!」といか言いながら「よいハロウィンを!」と大人同士で声をかけあっている。このような場面であれば教育的価値も無きにしも非ずである。

そして確かにコスチュームもこのくらいなら可愛いものである(子供なら)。




しかし日本でのハロウィンはこれである。つい今しがた人を殺したのか、あるいは殺されかかったのか分からないようなのがウロウロしていたら治安維持もヘッタクレもあったものではない。



ハロウィンで渋谷が地獄絵図!日本オワタ… 


2015.10.31 渋谷スターバックス前(ハロウィンでカオス)警察アナウンスなど


【最悪】ハロウィン参加者がゴミ放置で住民激怒 / 渋谷がゴミの山 


これを読んでひとりでも多くの人々が「輸入版ハロウィン」に嫌気を感じてくれることを祈るばかりである。


追記:
たとえ知らない人でなくても問題はあるようで、このような警告もあるくらいである。


軽減税率とマイナンバーによる還付 日本は更に衰退へ

  • 2015.09.20 Sunday
  • 17:32

消費税を10%へ引き上げるにあたっての軽減税率導入やマイナンバーカードによる一部還付が議論されているが、極めて愚かである。消費税の存在そのものも、税率引き上げも、軽減税率導入も、還付も、全てが愚かである。ついでに言えばマイナンバーの導入自体も愚かである。国民に番号を振ろうとは、管理社会もここまで来たかという感じである。

軽減税率導入に対しては品目を線引きする難しさ、事業者負担の増加、財源の減少といった懸念が取りざたされているそうだが、議論するまでもなく当たり前のことである。マイナンバーカードによる還付案にいたっては、国民は買い物をするのにカードを持ち歩かねばならず、レジに晒し、パソコンで申請し、それで戻ってくるのが年4000円かそこらが上限で、とバカの極みである。

店が用意するポイントカードを律儀に財布に入れて、いつでもどこでも持ち歩く人間がどれだけいるか。私などはポイントカードそのものを持ち歩いたことが一度もない。店が「お得になりますから」といっても財布に入れるのが面倒くさいから絶対に断る。貰ってもすぐに捨てる。世の中そのような人々が大半である。僅か年額4000円ぽっきりのために誰がマイナンバーカードなど持ち歩こうか。しかも紛失すれば再発行など面倒くさいことこの上ない。

私はいつでもどこでもポイントカードを持って買い物をしていますよ。

そうか。だが問題はそれではない。人が使うか使わないかもわからないマイナンバーカードのために店側は多額の投資をしてレジ横に置く読み取り機械を準備しなければならない。全てのレジに置かなければ、「マイナンバーカードご利用のお客様はこちらのレジにお並びください」というような対応をしなければならなくなる。

『対象は酒を除くすべての飲食料品で、外食も含む』とされているが、メニューがワインつきのコースだったらどうするのだ?ワインのセレクションに自信があり、食事とワインを一緒に味わってもらいたい店はわざわざワインの値段だけ別に計算しなおさなければならない。

それに、「酒類は別」であれば酒を使った料理はどうなるのだ。

レストラン・タカノ 牛肉赤ワイン煮込み



Bistro Monsieur 牛ホホ肉の赤ワイン煮込み


いや、料理は料理、酒は酒ですから。

しかしその料理には間違いなく酒が使われていて、アルコールは料理中に大方飛ぶものの微量ながら残っているのだ。

客がオシャレなレストランでマイナンバーカードを出すなどといったダサいことをしなければ店の対応はただの無駄である。さりとていつ何時突き出されるかもしれぬマイナンバーカードに備えて万全の対応をしておかなければならない。

居酒屋も同じである。焼き鳥、タコワサ、刺身、枝豆、そしてビールに焼酎にハイボール。5名様だが一人は酒が飲めないのでウーロン茶。皆で飲んで食って最後に割り勘。金を出し合い、5枚のマイナンバーカードを出す。店員は一枚一枚スキャン。酒以外はすべて還付の対象であるから間違いは許されない。時々スキャン不良で何度かやり直し。確実にやらないと後でクレームになる。そのうち他のグループから「すいませーん、ビールまだ来てないんですけど」。額に汗がにじむ。

そして国民が手にするのはたった4000円である。事業者(大きな会社から小さな商店まで)に負担を強い(=コストアップ)、国民に負担を強い、商業の現場を混乱させ。。。しかも事業者は同時に10%への増税対応もしなければならない。まさにダブルパンチである。

事業者の負担ということは、最終的には消費者の負担である。「事業者」とは消費者の集団に他ならないからであり、消費者ではない事業者というのは存在しないからである。

ところで、誰がどこで何を買ったか。その個人情報は守られるのか。

守られない、と断言しておく。

もっと重要な年金情報ですら雑に扱う政府である。漏えいした組織は実質的にお咎めなしである。どのような事故があろうとも、政府組織にとってはリスクではないのである。故に対応は温いのである。その政府が買い物情報などまともに扱うであろうか。いや、扱うはずがない。これは推測ではなく必然的な結論である。

軽減税率は欧州各国で実施されている。そして増税の言い訳に使われている。そして増税によって政府支出は増大し、景気は抑制され、失業は増大している。日本が進もうとしているのは衰退への道である。

追記:
ならどうすればよいのか。答え → http://conservative.jugem.jp/?eid=516

LGBT活動家による社会変革は人命を危機に晒す

  • 2015.05.24 Sunday
  • 10:45

差別や嫌がらせを受け、自殺を考えるほど精神的に追い込まれるLGBTを救うためとして市民団体が差別を禁じる法律の制定を国会に求めている。
 

「ゲイっぽい」はNG、市民団体「LGBT差別禁止法」を提案(記事
The Huffington Post 執筆者: Kaori Sasagawa
同性愛や性同一性障害など、性的マイノリティ(LGBT)のための法整備を求める「LGBT法連合会」は5月19日、都内で会見し、性的指向や性自認による差別を禁じ、政府に基本方針の策定を求める法律の市民案を発表した。今後は、政府や国会議員に働きかけ、立法を目指す。


「差別や偏見は良くない」とは通俗的な決まり文句であるが、いったいこれはどういう意味なのであろうか。差別とは何か、偏見とは何か。決まり文句を吐く人間は、これらを論理的に考えたことがあるのであろうか。

ある会社が入社希望者に対して「弊社は同性愛者を雇いませんので、そうであれば応募を御遠慮ください」と言うのは「差別・偏見」であろうか。もしくは、ある会社が社員に対して「あなたは同性愛者ですか。社の方針と合いませんから辞めてもらいます」と言うのは「差別・偏見」であろうか。

言われる側からすれば「差別・偏見」と言いたくなる気持ちは分からないでもない。だが、言う側からすれば、人材を区別し、条件を明示しているに過ぎない。雇用者が自由意思によって人材採用ができないならば、もはや商業の自由は無い。それはファシズムの世界である。

世の中には同性愛者でもなんでも構わない職種は沢山ある(工場の組み立てライン等)。同性愛者には合わない職種も沢山ある(接待のある営業職等)。いずれにしても、本人次第である。一般的には「合わない」職種でも、あえてカミングアウトもせずにうまくやる人もいるだろう。

だが、世の中には同性愛者では困る仕事がある。それは精神的な安定が強く求められる仕事、精神的不安定が人の命に関わるような仕事である。

最近アメリカで起きたアムトラックの事故はその典型的な例である。あの運転手はLGBTの活動家であり、精神的な問題も抱えていたことが判明している。精神的な不安定は同性愛という病気の代表的な症状である。

Redstate.comの記事によると運転手は以前ターゲットという小売スーパーで働いていたという。小売業から鉄道の運転手への転職はそう簡単にできるものではない。国営の鉄道会社であるアムトラックはLGBT支援を公式に打ち出している(参照)。当該運転手は、アムトラックに「同性愛枠」で入社した可能性が高い。枠で入った後は国営であるから身分は保証されているも同然。おざなりな技量で運転手になれたとしても不思議ではない。

同性愛者(同性愛という病気を抱えた人)は精神的に不安定であるとともに高リスクな行動をとる傾向が強い。薬物を常用する率も高く、無軌道な性行為を行うためにHIV/エイズや梅毒を保持する者も多い。アムトラックの事故は常軌を逸しており、何らかの精神異常と攻撃性があいまって発生したと見て間違いない。そしてそれには同性愛という病気が深く関係していたと断言することができる。

「同性愛者枠」なる枠を設けるということは、同性愛者採用の義務化を意味する。安全で確実な運転という、鉄道運営に必要な能力よりも、「同性愛者であること」が優先される。そして乗客の安全はないがしろにされる。事故が起き、人が死ぬ。

聞こえの良い「同性愛者差別と戦う」が人を殺す。

「同性愛者差別禁止」が法律になれば、必ず「枠」が設けられる。なぜならば、差別禁止だけではLGBT活動家の目的は達せられないからである。差別を禁じられても企業には「なんらかの他の理由をつけて雇わない」という選択肢がある。活動家の思惑通り企業にLGBTを採用させるためには「枠」を設けて強制的に実践させる必要が出てくる。そして結果は「アムトラック」である。

LGBT活動家は我々一般人の情緒的反応を当てにしている。「差別を受ける人は可哀相だ」あるいは「やっぱり差別はダメだろう」という。

実際の人数は別として、自殺を考えるほど精神的に追い込まれるLGBTがいることは確かであろう。だがそれは差別や嫌がらせが原因ではない。いわゆる保守的でゲイ・フレンドリーでない地域にするゲイと、サンフランシスコのような超リベラルで超ゲイ・フレンドリーな地域に住むゲイとで精神状態を比較したところ、両者で全く差が見られなかったという研究データがある。

同性愛に対する周囲の「理解」とは関係なく、同性愛者は精神的な苦しみを味わっているということである。ゆえに、同性愛者差別禁止を法制化したところで同性愛者の精神的な苦痛はいささかも減じることはない。それどころか、アムトラックの例のように社会を危険に晒すことになる。

LGBT活動家がたくらむ社会変革によって人命が危機に晒され、病気に苦しむLGBT達は治癒への道が閉ざされる。我々がすべきなのは同性愛という病気を持った人々に特別な権利を与えることではない。社会全体として我々がすべきなのは「同性愛が病気である」ことを認識し、そして彼らが治療に向かうことを促すことである。既に多くの人々が同性愛からの脱却を果たし、正常な人間としての幸福を手に入れている。

我々は癌患者のいない日本を望む。同じ理由で我々は同性愛者のいない日本を望む。同性愛をこの世から根絶させるという大いなる希望を持つべし。

追記:
2015年3月24日、ジャーマンウィングス9525便のアンドレアス・ルビッツ副操縦士は意図的に同機をフランス・アルプスに墜落させ、乗客・乗員150名が犠牲になった。そのルビッツ副操縦士はインターネットでゲイ・ポルノサイトを覗いていたことが判明している。また、ルビッツ副操縦士は同僚からは「トマト・アンディー」というニックネームで呼ばれていた。トマトとはドイツ語の俗語でゲイを意味する。ルビッツは鬱を患っており、4人の精神科医にかかっていた。事件後にルビッツの自宅で抗鬱剤が発見された。 ブライトバートより

参考:
http://www.freerepublic.com/focus/bloggers/3289641/posts?page=4

同性パートナー条例 恥ずべき一歩

  • 2015.04.01 Wednesday
  • 23:06
 
「同性パートナー条例」が成立 全国初、東京都渋谷区   産経新聞 3月31日(火)
●同性カップルに「結婚に相当する関係」を認める証明書の発行を盛り込んだ東京都渋谷区の条例案が31日、区議会本会議で賛成多数で可決、成立した。同様の条例は全国初となり、4月1日施行、証明書は平成27年度中の発行を目指す。●同区議会は32人(欠員2人)で構成。採決では議長を除き自民7人と無所属3人が反対し、公明、共産など21人が賛成した。また、桑原敏武区長提案の条例には、条例の趣旨に反する行為があった場合、事業者名を公表するという規定を避けることなどを求める付帯決議がつけられた。●同性カップルは、アパートの入居や病院での面会の際に家族ではないと断られることが多い。証明書に法的拘束力はないが、条例には「区民および事業者はパートナーシップ証明に最大限配慮しなければならない」と明記している。


「同性カップルはアパート入居や病院での面会で断られることが多い」

これは一見「不当な差別」に見えるがそうではない。売り買いにおいて、選択権を持つのは買う側だけではない。売り手としても「売りたい相手」を選ぶ権利がある。往々にして、買い手の選択肢は「消費者の権利」とされ、売り手の選択肢は「差別」とされる。経済の基本が分かっていない人間が多いためであろう。

アパート側としてはアパートに関わる有形無形の価値を出来るだけ上げたいと考える。そのために出来るだけ素行が良く、経済的にも安定している普通の社会人を入居者として求める。保証人を求めるのもそのためである。糸が切れた凧のような風来坊は敬遠される。そのような人間は指名手配を逃れる犯罪者かもしれないからである。

同様の理由で、同性愛者を公言する「カップル」も敬遠されることであろう。当然である。「ここの大家さんはゲイに優しい」という噂が広まれば、そのアパートはいつの間にか「ゲイ物件」となってしまう。一旦そのような風評が立てば一般の人は寄り付かなくなる。もともとそのような趣旨でアパート経営をする人ならまだしも、普通の入居者を相手にしたい経営者にしてみれば迷惑千万であろう。

では同性愛者は寒風吹きすさぶ中住むところもなく路頭をさまよっているのか?多くの同性愛者は「俺はゲイだ」などと公言せず、一般の「一人者」として入居し、パートナーは「友人」として泊りにくるとか、そつなく、つつがなく、ひっそりとやっているのである。

病院も同じである。普通、親・兄弟・親戚でなければ何といって面会に行くかといえば、「友人」として、である。「友人として面会に行ったら断られた」などという話は聞いたことがない。男同士であれば、普通の男友達として普通に面会を求めれば、断られるなどということがあろうはずがない。断られる人間がいるとすれば、よほど「ホモホモしい」怪しい雰囲気を漂わせているか、「パートナーです」というようなゲイ用語を大っぴらに使ったか、いずれかであろう。病院としては、院内で妙な行為に及ばれても困るわけであるから、当然やんわりと断りに出るはずである。

世の大多数の同性愛者はこのように現在ある社会の枠組みの中で、うまく立ち回っているのである。そして、それでよいのである。社会にとっても、本人たちにとっても。

それに対して条例化を要求する連中というのは傲慢極まりない。人の目の前に中指を立てるような下劣な行為である。

条例では「区民及び事業者はパートナーシップ証明に最大限配慮しなければならない」とされるという。同性カップルは家族向け区営住宅への申し込みができるようになり、区は区内の事業者に彼らを「夫婦」と同等に取り扱うように求める、という。

今のところは婚姻とは別物というが、これら活動家にしてみれば、同性婚の法制化実現を視野に入れているのは間違いない。

異性が一緒になって家族を形成し、子供を作り育てる、という伝統的な家族制度があるから社会は維持継続する。一方、同性愛者は一緒になっても生物学的に子をもうけることはできない。同性愛者は精神的に不安定であり(貶しているのではなく、医学的なデータに基づいた事実である)、同性愛者間の関係も不安定である。従って、安定した夫婦関係が基礎となる子育てに適さない。

同性愛者は一般の家族を基礎とする社会という枠組みがあって初めて生きることができる存在である。日本社会はもともと穏健であり、同性愛者を激しく排斥したことは無い。

彼らが節度を持って生きるにおいては、お互いに何の問題も無いのである。だが、条例化を成し遂げ、更に同性婚を実現せんとする邪悪なLGBT活動家は、我々の伝統的な社会構造の破壊と社会の根底からの変革を企てようとしている。

社会でひっそりと生きる同性愛者を我々の社会は敵視したことは無いし、これからも敵視することはない。だが、邪悪なLGBT活動家は我々の伝統的社会を敵視し、あらゆる方面から攻撃を仕掛けてくる。彼らは我々の敵であり、家族を基礎とする自由と繁栄の敵である。

追記
同性婚反対を主張すると、「織田信長が男色だったのを知らないのか。同性愛は日本の伝統だ。だから同性婚は日本の伝統にあうのだ」と反論する者がよくいる。同性愛は個人の領域に属する問題であるのに対して同性婚は社会の領域に属する問題であり、次元が違うのだが、それはさておき。ならば織田信長に聞いてみればよい。「なぜ同性結婚しなかったのですか?」「なぜ絶大な権力をもって同性婚を法制化しなかったのですか?」と。

社会主義が何をもたらすか

  • 2015.03.01 Sunday
  • 16:49
 
  • 保守左派
  • 愛国左派
  • 社会主義保守
  • 国家社会主義保守
  • 愛国・国家社会主義
  • 国防右派・経済左派
  • 大きな政府を志向する保守
  • 大きな政府を志向する愛国

こういった概念は論理的にあり得ない。

なぜなのか。

保守とは市民社会を守ることである。その目的は個人の尊厳と自由を守るためである。

保守とは個人の尊厳を守ることである。そのためには政府の規模を限定しなければならない。

保守とは国民の安全を守ることである。そのために強力な軍事力を維持しなければならない。それを支えるのは富を生み出す自由な経済活動(資本主義)である。

保守とは次世代、その次の世代、またその次の世代を守ることであり、そのために我々を育んだ歴史と伝統を守らなければならない。

マインドマップで思考してみた。


「モンスター」生む政府の介入

  • 2014.11.09 Sunday
  • 15:26
 

コンビニ土下座事件 被告も営業時代に…「モンスター」生む顧客重視

一般市民が企業や店舗に暴力団まがいの態度で土下座のような過剰な謝罪を要求する“モンスター”クレーマーが近年、注目を集めている。消費者意識の高まりとともに年々、企業へのクレーム数は増加しているとみられるが、際限なき要求を許す要因として「顧客重視」の企業姿勢が挙げられる。専門家は「企業側は顧客の要求に過大に応じてきた姿勢を改めるべきだ」と指摘している。 産経新聞 10月31日(金)12時15分配信

 

店の従業員を怒鳴り、土下座させ、威張り散らす、いわゆるモンスター客はなぜ出てきたのか。 専門家は言う。 企業の顧客重視を追及する姿勢がこのようなモンスターを生んだのだ、と。

 

世の専門家は往々にしてバカである。 専門分野に関しては秀でることもあるのであろうが、それ以外の事に関してはバカである。 それどころか、その分野に関してもバカということもあるものである。

 

「モンスター客」は客が一方的に優位に立つ現象である。 なぜ客が一方的に優位に立つかといえば、それは顧客重視が原因ではない。 顧客重視は昨今発明されたものではない。 これは有史以来、成功する商人の哲学である(成功とまでいかなくても、存続するためだけにも必要である)。 顧客を重視しない供給者はカスであり、存在する意味がない。 純粋な資本主義経済において、顧客を重視しない供給者は消滅する運命にある。 しかし往々にして、そんな供給者がしっかりと存在するものである。 政府の規制によって守られる供給者がそれである。

 

客が一方的に優位に立つ現象は「お客様は神様です」の精神とも関係がない。 世の供給者が客として認識するのは買ってくれそうな人、買ってくれた人、これからも買ってくれる人々である。 買いもしない人や、買ってもイチャモンばかりつける人(無駄な手間ばかりかかる人)は客ではないし、神様でもない。 黙って来店し、黙って買い、黙って使い、また黙って買いに来る。 こういう人々が神様なのである。

 

では、なぜ「神様」でもない人が傍若無人に振る舞えるのか。 その背景には「顧客重視しない供給者」が存在しうるのと同じ原理がある。

 

一例をあげれば「こんにゃくゼリー」である。 祖母が孫に凍らせたこんにゃくゼリーを食べさせたところ、のどに詰まらせて孫が窒息死するという不幸な事故があった。 時の政府は「消費者を守るため」と称し、製造者にこんにゃくゼリーの製造販売の停止を命じた。 こんにゃくゼリーは何千、何万という人々に日常的に親しまれてきた美味しいお菓子である。 孫の窒息死は非常に不幸であるが、祖母が常識をもっておれば防げた事故であった。 そのような事故が頻発していなかったことが何よりの証左である。 危険食品であれば、とっくの昔に無くなっていたはずである。 しかし政府は、こんにゃくゼリーを販売禁止にした。 たった一人(一家族)の消費者の声を取り上げる一方、製造会社の従業員やその家族の生活、そして製造会社のサプライヤーの従業員やその家族の生活を顧みることなく、国家権力を持って販売禁止にしたのである。

 

もう一例をあげれば「原発事故」である。 悲劇は地震と津波の大震災であり、大震災は自然災害である。 しかし、政府とマスメディアと大衆(消費者)の大合唱によって大震災は完全に忘却の彼方に追いやられ、代わりに国民の意識の中心に据えられたのが「原発事故」である。 周囲のあらゆる建造物は跡形もなくなぎ倒され、押しつぶされ、押し流され、原子力発電所だけが雄々しく完全無傷でその場に踏みとどまった。 原子力発電所は恐るべき破壊力を剥き出しにした自然災害に打ち勝った。 周囲の状況を鑑みれば、原発で起きた水素爆発など事故ではない。 我々は自然の力の恐ろしさと同時に神が与えた人類の英知の偉大さをも目撃したのであった。 しかし、マスメディアと大衆(消費者)は地震と津波の被害そっちのけで「ホーシャノー大合唱」に踊り狂い、政府権力を動かして日本全国の原子力発電所を停止させるに至った。 震災から4年が経とうとしているが、いまだに原発再開の目途は立たない。 火力発電のために我々は樺太・千島列島を不法占領する敵国ロシアから天然ガスを買い、輸入エネルギーコストはかさむ一方である。 都市部の地下鉄も暗いままである。

 

消費者庁、消費者センターというものがある。 「立場の強い」製造者や販売者に対して、「立場の弱い」消費者を守ろう、という趣旨で創設された組織である。 モンスター客の切り札は「消費者センターにチクルぞ!」である。 実際にチクるか、チクったところで消費者センターが取り上げるかどうか、は問題ではない。 消費者側に立った組織がある一方で、集団的な強さを発揮する消費者やマスコミに対して製造者や販売者を守る組織は無い。 そういう組織を作るべきだという意味ではない。 企業が不都合な情報を隠蔽しようとすればマスコミをあげてブッ叩かれるが、消費者が問題をデッチ上げ、クレームをし、さんざ企業側を困らせた挙句に嘘がバレても何のお咎めもない。 一方的な関係が、政府の力で法制化されているということである。 そのような風潮の中から、モンスター客という存在は生まれてくるわけである。 「俺様は消費者であり、消費者は神であるぞ。 俺様の言うことを聴かねえとは、神に逆らうつもりか。 社会的制裁を加えるぞ」と。

 

資本主義経済において、供給者と客は互恵関係にある。 客は供給者を選ぶ権利があり、供給者も客を選ぶ権利がある。 両者の利益が一致したときにビジネスが生まれる。 飴一個であろうが、ビジネスである。 買いたくない者から買わない。 売りたくない者には売らない。 たとえそれが個人的な嗜好であろうが、思想的なものであろうが、哲学的なものであろうが、物理的なものであろうが、理由はどうでもよい。 「なんとなく貴様には売りたくない。 だから出ていけ」でもよい。 客とて「なんとなくこの店で買いたくねえな。 だから買わねえ」である。 お互い様でよいのである。 そのような相互的な関係からはモンスターは生じようがないのである。

 

しかし、現実には一方的に一般消費者の方を持つ政府、そして法律と規制がある。 これらが消費者をけしかける。 政府が引き起こす問題は、例外なく時を経るごとに弊害の度を強める。 放っておいて良くなることはない。 悪くなる一方である。 大衆は、政府が消費者のために供給者に圧力をかけることを要求し、政府は消費者の代理人となりきる。 このような環境の中からモンスターは現われる。

 

ここに一つの法則が見えてくる。 世の中の「問題」をつぶさに観察すると、その背景には必ずといってよいほど政府の存在が見えてくる。 

 

「問題」の無い社会は無い。 だが「問題」を固定化し、増幅させているのは他でもない政府である。 

 

「問題」の無い社会は無い。 しかし政府が余計な手出しをしなければ、「問題」はいつしか「問題」でなくなる。 

 

「問題」の無い社会は無い。 だが社会には自浄能力というものが備わっている。 政府には、その自浄能力を守る力もあれば、破壊する力もある。 伝統と風習に基づいた法律はそれを守り、社会実験とイデオロギーに基づいた法律はそれを破壊する。

 

モンスターが皆無な社会は無い。 だが、モンスターを増長させているのは政府である。

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