"Men and Marriage" 読了 - 結婚とは何か

  • 2015.07.12 Sunday
  • 17:50

"Marriage is not simply a ratification of an existing love. It is the conversion of that love into a biological and social continuity" George Gilder "Men and Marriage"

「結婚とは、単なる愛情の追認ではない。結婚とはその愛情を生物的、社会的な継続性へと転換する行為である」 ジョージ・ギルダー ”男性と結婚”


同性婚が注目される昨今、結婚という人類が作り上げた慣習に対する風当たりが強まっている。多くの人々が結婚とは何かを見失っている。結婚などただの役所の紙切れだ、結婚などしなくても生きていける、結婚など過去の遺物だ、とシニカルに構えている。



"Men and Marriage"は1980年代に書かれた名著である。結婚が危機に晒されている今こそ我々に必要とされる一冊である。

本書は、文明社会を支えてきたのは結婚という制度であると説く。

男性は古来よりハンターであった。現在ほとんどの男性は狩猟に携わることはないが、この性質は受け継がれている。衝動的であり、活動的であり、競争を好み、支配を好み、チャレンジを好み、冒険を求め、不安定である。

このような男性の衝動を抑え、安定化させ、そのエネルギーを破壊ではなく建設へと向かわせる力を持っているのが女性である。

女性の力の源泉は「拒絶」である。性的衝動の強い男性とは対称的に、女性は性行為無しで長い間精神の均衡を保っていられる生物である。女性の「ダメです」は男性に対して条件を突きつける。性行為を欲するならば結婚に足る人物になりなさい、と。 善良で勤勉で堅実で誠実で建設的で文明的な人物となりなさい、と。

この女性の拒絶が持つ力こそが、社会を支え、経済を発展させてきた原動力である。

結婚によって男は変化する。これは女性の持つ力によるものである。男は結婚すると、もう「独身」ではない。独身男性は即自的な満足を求め、それを得る自由がある。だが結婚に際して男性はその自由を捨てなければならない。妻となる女性と落ち着かなければならない。狩猟はもう終わりである。家族を生活の中心にしなければならない。夫である自分を頼る妻と子供がいるからである。

本書は文明社会における、男性の「稼ぎ頭」としての役割の重要性に触れる。フェミニスト運動家は男女平等を訴える。勤労の機会と賃金を平等にせよと。平等を実現するには資質や性質が同じでなければならない。だが性的に女性は高位に、男性は下位に位置する。

まず当然ながら、男性は子供を孕み、産むことが出来ない。これらは女性だけが出来ることである。

そして男性は常に試されている。仕事でも試され、ベッドでも試される。勃起不完全や早漏によって男性はインポとされ、自信を砕かれる。対して女性は器量の良し悪しはあるにしても、性行為で「失敗する」ということは無い。

この劣位性を埋め合わせるために、男性にとっては「稼ぎ頭」としての役割が決定的に必要なのである。

だが我々の生きる現代において、もはや男性の牙城である狩猟は無い。オフィスでの仕事は女性でも同等にできる。しかも政府の政策で「女性の社会進出」が促進され、男性の領域は否応なく狭められている。失業すれば失業手当があり、収入が少なければ生活補助もある。医療も社会保障で賄われる。男性が稼がなくても、女性は「やっていける」世の中である。

男性にとって失業状態は屈辱であり、失業男性は社会にとっての脅威である。一方、女性は仕事を持たないことで社会にとって有益でありうる。子を産み育てられる女性とそれが出来ない男性との違いである。

男性というものは経済的に下位の(稼ぎの少ない)女性と結婚するものである。対して女性は経済的に上位の(稼ぎの多い)男性と結婚するものである。絶対的な法則ではないが一般的な現象である。これは良し悪しや偏見ではなく事実であり、男そして女としての性(さが)である。

女性は稼げば稼ぐほどに経済的に同レベルの男性と結婚する気は失せ、より経済力のある男性との出会いを待つ。しかし都合よく稼ぎが良くて独身で見栄えの良い男性はそう簡単に現れない。そうするうちに年月は過ぎ、年齢を重ねる。婚期を過ぎた独身女性はそのまま独身を通す確率が高い。それと同数の男性は結婚ができずに独身のままである。女性が「社会進出」すればするほどに結婚が減少する所以である。

結婚の減少によって独身男性は増える。

本書は結婚を減少させるもう一つの要因として「性の解放」を挙げる。

「性の解放」によって10代〜20代の若い女性は性的ヒエラルキーの頂点に立つ。彼女らはキャリアや男性関係を謳歌し放題。金持ちの妻子持ちの年上の男性との不倫もできる。だが彼女らが30代に入ると”若さのパワー”は急激に減少する。更なる好条件への望みが絶ち切れず、ズルズルと結婚を先延ばしにする。35歳を過ぎ、40も間近。はっと気づくと「負け犬」に。前は追いかけてきた男ももう自分には興味を示さない。彼らの興味は若い後輩たちへ。

「性の解放」で犠牲になるのは先ずは女性、次に若い(金と権力の無い)男性である。

中年男性が若い女性と浮気して妻を捨てれば、年を食った妻は別の男性と再婚できる望みは薄い。離婚された妻の多くは経済的な困難の中、孤独な老後を迎える。

「遊ばれた」末に年を食って婚期を逃す、かつてチヤホヤされた若い女性もいわば犠牲者である。35歳を過ぎた女性が結婚に辿りつく確率は僅か5%(本書出版当時)。

そして若い女性が年上の金持ち男性と遊んでいる間、それを恨めしく眺めていた金のない若い男性。彼らも結局は結婚に辿りくつくことができない。結婚どころか、”つきあう”にも事欠く始末。

さて勝者は、と言えば、金と権力のある男性である。「性の解放」は女性ではなく、男性、それも金と地位のある男性を解放するだけだったのである。そしてこれら男性にとっての実質的な「一夫多妻」状態の実現である。

「性の解放」によって結婚は減り、独身男性が増加する。

「性の解放」はまた、同性愛を増加させる。なぜか?「性の解放」は一夫多妻をもたらし、一夫多妻は男性弱者を同性へと向かわせるからである。同性愛が増えれば、当然ながら、結婚は減る。そそしてやはり、独身男性は増加する。

独身男性の増加は社会の安定と経済成長を脅かす。そしてそれは文明社会の存続をも危機に陥れる。世の犯罪者の多くは独身男性である。

文明社会は結婚の減少と独身男性の増加によって危機に晒される。要因は女性の育児放棄と「社会進出」、「性の解放」、男性の「稼ぎ頭」の役割を無にする社会福祉である。

この流れを変えることが出来るのは誰か?女性である。それも、「No」と言える女性である。

結婚の減少をもたらすフェミニズムの政策に「No」。独身男性の女性遊びに「No」。金持ち中年男性の不倫に「No」。

女性が左翼フェミニズムに「No」を言うことで、女性は再び「家を守る」役割を担い、男性は家族のために稼ぐ役割に専念するようになる。女性が「No」を言うことで、男性は独身と独身文化を捨て、彼らのエネルギーは結婚生活、家庭生活へと向かう。

女性は男性を変え、社会を変える力を持っている。我々の文明社会が没落を回避するか否かは女性にかかっている。

「Dare to Discipline」読了

  • 2015.06.21 Sunday
  • 18:15



本書は子供の躾の本であるが、躾にとどまらない。良い親子関係を育むもの、破壊するもの、子供の知能の発達を促進するもの、阻害するもの、子供の人格を形成するもの、悪徳を吹き込むもの、一言で言えば、一人の良き市民を育てるために何をすべきか、親が知っておくべきことが詰まった一冊である。

現代は不道徳な世の中、不道徳がまかり通る世の中、不道徳が称賛される世の中である。そんな世にあって、正しき子育てをしたいと願う親にとっては逆風が吹いている。往々にして社会の風潮と逆をいかなければならないからである。そのような親にとっての良き味方となるのが本書である。

躾の基本は愛情である。著者は親子関係において辛辣であること、虐待すること、抑圧的であること、嘲ること、批判すること、憤怒といった行動を一掃すべきであると説く。執拗に口ややかましく説教したり怒鳴ったりすることは親子関係を傷つけるだけでなくエネルギーの無駄である。躾の目的は親のエゴを満足させることではなく、子を立派な大人として社会に送り出してあげることである。規律と愛情とのバランスが重要である。

親が子を愛するならば、子に服従を教えなければならない。そしてそのことを子に伝えなければならない。

正しき価値観を教える(本書では"indoctrination"という強い言葉を用いている)ことが出来るのは、とにかく早いうちである。幼児期は権威に対する敬意を植え付ける上で重要な時期である。

子が最初に挑戦的な態度を見せたとき、それを親は圧倒的な力でねじ伏せなければならない。それによって親は子に対して「超えてはならない境界線」を示すのである。それはいわばガードレールや道路の白線のようなものである。ガードレールの無い橋を走らされるドライバーは不安を感じる。同じ理由で、明確に示された境界線は子を安心させる。

「反抗的な10代」は必然ではない。0歳〜12歳までの間に「平和裏に武装解除」させなかった結果である。

お尻叩きは非常に有効である。しかしこれは挑戦的な反抗に対してに限定すべきである。些細なことでこれを使うと効果が減じるだけでなく、子の心に傷を残す。一方、体罰を敵視する風潮があるが大間違いである。体罰は子を暴力的にさせるなどという話があるが、根拠のないデマである。

ただし、体罰を使ってよいのは18か月からであり、それ以前は絶対に避けるべきである。また小さな反抗心が芽生える18か月〜3歳にかけては「お尻叩き」までいかずとも、痛みを感じる程度に指をペンするだけで十分効果的である。

また、言うことを聞かない子には「肩つかみ」も有効である。両肩の首から肩にかけての筋肉をギュッと掴むと痛みを感じる。かなりの痛みは感じるが実害は無い。小枝やそれに類する軽い棒を鞭代わりにするのもよい。




体罰は子が6歳になるまでに減らし、10歳〜12歳までには完全に止めるべきである。それ以降の体罰は子に屈辱を与え、逆効果である。

だが、やはり躾の基本は愛情である。体罰を含む躾を有効にするためには健全な親子関係が必須前提である。それが無ければどのような「躾」も禍根を残すことになる。子と一緒に遊び、笑い、楽しい時間を過ごすことである。

躾に求められるのは厳しさばかりではない。悪い行いは理性的な罰によって抑制されなければならない一方、良い行いは具体的に褒め、報いてあげるべきである。報いる方法はお金、プレゼント、お菓子など様々であるが、ただ言葉で褒めたたえてあげるだけでも子は喜ぶものである。

その一方で「与えすぎ」には注意すべきである。次から次へとモノを買い与えることで、親は子から重要なものを奪うことになる。それは「得る喜び」である。そして子は「与えられて当たり前」という傲岸不遜な態度を身に着ける。親は「いいよ」よりも遥かに高い頻度で「ダメ」を発するべきである。そして「ダメ」を言うときには絶対でなければならない。最初は「ダメ」だったにも関わらず子が粘って「いいよ」を勝ち取った暁には親の「ダメ」は単なるハッタリとなる。だから迷ったときはゆっくり熟考してから意を決して「ダメ」を発することである。子は親の「ダメ」が絶対的な「ダメ」だと知れば、それに挑戦しようとあがくことを止め、結果として精神的な安らぎを得ることができる。

学びの姿勢を叩き込むことも躾の一つである。それがひいては勤労の精神につながり、社会に出てからの成功へとつながる。この部分を担うべきは子と多くの時間を過ごす母親であるが、共働きが多い昨今は子を守り導くべき役割が蔑ろにされている。

0歳〜3歳は脳の発達にとっての重要な期間である。この間に知的刺激を与えてあげるか否かで脳の物理的構造が決定される。その意味で、取り返しのつかない時期である。刺激の少ない状態で育てられた子は知恵遅れとなり、豊かな(知的刺激という意味で)環境で育てられた子は賢くなる。より多く話しかけ、大人の会話を聞かせ、興味をかき立てる本を与えることである。本の読み聞かせは大変有効である。

小学校に上がる6歳あたりの子供達には成熟度において大きな格差がある。6歳でもまだ集団教育を受けられるほどに成熟していない場合がある。そのような子を無理して学校に送れば最初の段階でつまづき、大きな劣等感を抱くことになる。幼い子の自己イメージは壊れやすく、修復しにくいものである。それを防ぐ方法は、IQテストを受けさせることである。これは学校教育を受ける準備ができているか否かを計測する最適な方法である。

この点で少なくとも幼少の段階でホームスクーリングをすることは有効である。不要な「恥をかく」体験を免れた子は自信溢れる態度を身に着ける。ホームスクーリングで育てられた多くの子供がより高い社会性を身に着け、世の中で成功を収めている。

昨今は、暗記を軽視して「考えることを奨励する」似非教育が人気であるが、本書は暗記の重要性を述べている。暗記をすることで何を身に着けられるのか。著者は以下5項目を挙げる。

 
  1. 自己管理。長い時間机に向かい、指示に従い、課題を完結させるという能力は社会人としての基本的資質である。
  2. 自己変革。人間は情報をインプットすることで変わる生きものである。
  3. 情報の引き出し。暗記したことを忘れても、「どこを探せば情報があるか」を知っておくことが重要である。
  4. 記憶。暗記したことを大方忘れても、情報は完全に消去されるわけではない。
  5. 新たな学びへの基礎。まずは頭に情報を入れることで、更に高次元の学びが可能となる。

考える前に情報が無ければ考えようがない。当たり前のことである。学校で学ぶべきことは数学も科学も全て暗記である。

子育て・教育の目的は良き人間を社会に送り出すことである。だがそれを望む親の周りには強大な敵に囲まれている。その敵とはポップカルチャー(大衆文化)である。テレビ、映画、音楽ビデオ等によって性に関する退廃的なメッセージが垂れ流されている。

1970年代に連邦政府によって「セーフ・セックス」なる言葉が流布されるようになった。コンドームを使えば「安全」であるということであるが、それ以来今日にかけて婚外妊娠、婚外出産、妊娠中絶、そして性感染症の爆発的増加がその結果である。

コンドームは正しく使えば妊娠を防ぐことに関しては有効である。だが性感染症を防ぐことは出来ない。コンドームの素材であるラテックス材には5ミクロンの微細な孔がある。HIVウイルスのサイズは0.1ミクロン(1/50)である。結婚するまで処女童貞をまもり、結婚したら婚外性行為をしないことが感染を防ぐ唯一の方法である。

性についてあまり早くに多くの情報を与えるのは危険であり、どの時期に何を教えるかは慎重に計画するべきである。性について教える適齢は、女児は10〜13歳、男児は11〜14歳である。その時期を越すと子供はこのことに触れるのを嫌がるようになる。その前に正しきことをしっかりと教えることである。

※日本の学校においても「ジェンダーフリー」なる標語を掲げる日教組が不道徳な性教育を行っていることは周知の事実であり、憂慮すべき事態である。

一人の男性と一人の女性とがお互いに強固に結びつくことによって、男性の意識は富を創出し、積み上げ、守る方向へと向かう。男性の意識が分散すれ生き方も刹那的になる。道徳観を失った社会は経済的にも落ちるのみである。

最後に、本書は子育てにおいて重要な役割を担う母親に対して助言を与える。母親はいわば家庭における医者であり、看護婦であり、カウンセラーであり、教師であり、牧師であり、コックであり、警察官である。

 
  1. 自分自身のため、そして結婚生活のための時間を確保すること。
  2. 自分の影響力が及ばない事について悩まないこと。
  3. 問題に対して(疲れのたまった)夜に取り組まないこと。
  4. やるべきことをリスト化して整理すること。
  5. 神の助言を頼ること。


追記
権威への尊敬の念が欠けるとどうなるか。警察は治安維持上の権威である。警察官に公然と楯突けばこうなる。だが体を張って仕事をする警官が叩かれ、彼らに反抗的な態度を取るガキがこぞって称揚される。洋の東西を問わず、不道徳な世の中である。


"A Family of Value"読了

  • 2015.06.01 Monday
  • 20:12



子育てに疲れを感じる。不安に苛まれる。罪の意識を感じる。

本書はそんな現代の親のために書かれた本である。

子育てほどしんどいものは無い、とよく言われる。だが実際のところ、現在よりも経済的にも物質的にも恵まれない時代にも子供はすくすくと育ったのであり、昔の親は子育てに苦しんだりはしなかったのである。

「昔の親」とは第二次世界大戦以前の親のことである。あらゆることが困難だったに違いない戦争中の親は言う。「子育て?誰でもやったことだ。特別な事ではない」と。

本書のメッセージは、簡単に言えば「昔に戻ろう」である。それをアナクロ主義と呼ぶなら呼べばよい。大家族から核家族になるにつれ、子を持った親は親や親類に助言を求めるのではなく、精神科医や心理学者に相談したり、彼らの書いた本を読んだりして知識を得るようになった。

彼らは戦後の親に伝道した。

「子供にもっと与えなさい。もっと褒めなさい。もっと自意識を高めてあげなさい。もっと保護してあげなさい。子供を中心に考えて。民主主義を導入して。非民主的で権威主義的な古いやり方は子供を傷つける。もう時代は変わったのです。。。」

その結果が学級崩壊であり、家庭内暴力であり、マナーや敬意や道徳をわきまえない少年少女であり、少年犯罪増加であり、学力低下であり、鬱や自殺に走る若者達なわけである。

昔の親は知識ではなく、常識として3つのRをもって子育てを行った。

1) Responsibility(責任)
子供には出来るだけ早くから家事仕事をさせる。これは家族の重要な一員として認めることであり、得るだけでなく、与えることを学ぶことであり、家族の価値を高めることである。※本書は冷蔵庫等に「やることリスト(皿洗いやトイレ掃除等)」を貼り、子供がそれを行うことを当然の義務として法律のように明示すること、そして4歳までにはほとんどの家事に従事させることを推奨する。

2) Respectfulness(尊敬の念)
子供は親や他の大人とは同等ではないこと、ましてや、大人は子供の召使いではないことを教える。立場の違いを認識することから親への尊敬の念が生まれる。多くの現代の親は子供の召使いと化している。子供が親に要求する→親はそれに応える→子はもっと要求する→親はキレて怒鳴る→親は罪悪感を感じる→親は子供に”与える”ことで埋め合わせしようとする→子は更に要求レベルを上げる→親は更に与える→親は疲労困憊。悪循環である。

3) Resourcefulness(考えて問題解決すること)
”自分でやること”を子供に教える。そうしながら子は問題を解決する術を学び、大人になる準備をする。親の役割は子供の"needs(必要)"を満足させることであって、"wants(欲求)"を満たすことではない。欲求に応えてあげてもよいが、与えすぎれば子はその喜びを感じなくなり、感謝の念を持たない人間に成長する。与えるものを最小限にすれば(例:玩具は5個だけ)子は自ずから創造性を発揮して遊びを編み出す。親は子に言うべし。「自分でやりなさい」と。子は趣味を見つけ、自ら掘り下げ、学ぶようになる。

昔の子育てには3つのRがあり、更に「3つの決まり」があった。「3つの決まり」とは?

1) 子供は親の言うこと為すことに注意を払うこと。
2) 言われた通りにやりなさい。
3) 口答えをしないこと (原文:You do as I say, because I say so)

18か月までは当然の必要性から子は家族の中心となる。だが18か月前後からは、子が親に注意を払うように仕向けなければならない。

どうやって?

親は子への注意・注目(食事、衣服、安全等を除き)を減らすことである。

どうやって?

夫は夫に、妻は妻になることである。子供中心から結婚生活中心にすることである。

世の多くの夫婦は子ができた瞬間から「オトウチャン」と「オカアチャン」になってしまう。子供中心である。子供は自分が家族の中心だと思えば自分の欲求(子供は必要性と欲求を区分することが出来ない)を満足させることをひたすら要求し、親がそれに応えることを当然の義務と主張する。子供は益々扱いにくくなり、親は益々疲労困憊する。悪循環である。

良き伴侶は良き親である。その逆ではない。良き結婚は良き家庭を作る。その逆ではない。そして良き夫婦関係が最も子供を安心させるのである。妻を大切にする夫である父を、夫を大切にする妻である母を、子は見て尊敬し、男の女への接し方を、女の男への接し方を学ぶ。子供を早く寝かせれば二人の時間が持てる。時には誰かに子を見てもらって二人で出かけるもよし。二人の時間を大切にすべきである。

特に母親は、女性であることを忘れるべからず。趣味を楽しみ、オシャレを楽しみ、交友を楽しみ、自分自身であることを楽しみ、人生の喜びを追求すべし。子はそんな母親を見て敬意を払うものである。

親が子供をコントロールしたければ、まずは自分をコントロールしなければならない。ガミガミ、ブチブチ、グチグチはダメである。大声でどなるも小声でタラタラ文句を言うのも親がコントロールを失ったことを自らさらけ出すも同然である。親が子供に指示を与える際には、静かに、オタオタせずに、声を荒げずに、短くピシッと「コレコレコレをやりなさい」とだけ言ってその場を立ち去ること。

「何で?」に答えないこと。「やだもん」等の憎まれ口は聞き流すこと(著者は少々の憎まれ口は叩かせてあげることを推奨する)。それらにいちいち答え、”理論的な説明”を試みるとどうなるか。親は子供との果てしなきディベートに巻き込まれる。その瞬間、親は子供と同レベルに落ちる。そして子は親への敬意を捨て去る。

「理由をちゃんと説明しなきゃ」という人がいるが、間違いである。なぜならば、子が理由を求めるのは「嫌な時」だけだからである。「おい、アイスクリーム食うぞ」に対して「なんで?」と反応する子供はいない。※勘違いしてはならないのは、「なぜ夜と昼があるの?」的な質問にはじっくりと答えてあげればよい。

子が親の言うことを実行しないならば、親は罰を与えなければならない。その場で罰を与えるもよいが、来客中だったり外出中だったり他の用事があれば、罰を実行するのは1週間後でもよい。「アイスクリーム欲しい」「あ!美味しそうだね〜。でもダメ。1週間前のあの時、お前は私の言ったとおりにコレコレをしなかったね。私は食べるけどお前にはあげない」という具合である。

実社会において、現在のミスの結果が直後に跳ね返ってくることは稀である。大抵は1週間後〜数週間後に問題化し、場合によっては数年後に一大事となって表面化することもある。故にこの罰し方は子供が実社会を理解する訓練にもなるのである。

”苦しみ”は、親ではなくて(言うことを聞かない)子供が感じることが肝心である。

1) 要求や期待事項を事前に明確に表明すること
2) それを穏当なやり方で守らせること(虐待や誘惑を用いずに)

買い物にお店に入る前に「騒がないこと、勝手に動きまわらないこと、勝手にモノに触れないこと」を伝える。にも関わらず子が騒いだら「じゃあ、帰りましょう」。お楽しみはカットし、罰として部屋に閉じ込める(トイレや食事は別)ために帰途につく。「ごめーん、もうしないから、許してよ!」と泣き叫ぶ子を見ながら静かに言う。「騒ぐなと、言ったでしょ」と。

幼児期の子はいわば王子様・王女様である。皆の者が背をかがめてかしずき、”謁見”を求めにやって来る。”謁見者”は王子様・王女様の笑顔の恩恵にあずかり、喜びに打ち震える。しかし18か月を過ぎると立場は一気に変わる(変わらなければならない)。幼児期を引きずっている(親がそれを容認している)子供は不満タラタラの扱いにくい子供となり、幼児期を断ち切った子供(親がきちんと躾けた子供)は良き家庭の一員となる。

子育てに甚大なる悪影響を与えてきた心理学者の多くはジャン・ジャック・ルソーに影響を受けている。ルソーは悪辣で非道徳的な性格の人物であり、その思想は共産主義の源流の一つである。ルソーは「子供は生来善であり、純粋な生きものであるが、親や社会に触れるなかで変質、劣化していく」と言った。自分がどのような悪事を働いても、それは自分の責任ではなく社会が悪いのだと。ルソーのような人間にとって実に都合の良い思想である。

一方、現実の子供は自己中心的であり、愚かであり、非文明的であり、残酷ですらある(しかし宝物であることには変わりはない)。だから悪さをするのであり、反抗するのである。その芽が出たときに、親はどうするかである。きちんと躾ければ良き大人となり、躾けなければ犯罪者となる。

親の役割は重要である。だが「3つのR」と「3つの決まり」を心に留めて当たれば、疲れ、心配、疑念から解放されるのである。本書は多くの親にとっての福音である。

テレビについて
幼少時から少年時にかけ、どのようなテレビであっても有害である。特に0歳〜6歳にかけて脳の成長が著しい期間にテレビを観させると、子供の脳は機能的にも構造的にも変化し、悪影響は落ち着きのない行動となって表れる。テレビ番組の多くは、性の氾濫、同性愛の肯定などといった不道徳な社会的メッセージを伝える。また、いわゆる”良い番組”であっても、大人をバカにすること、子供を殊更に持ち上げて描くなど、巧妙な手段で左翼思想を織り込んでくる。子に野放図にテレビを観させる親は自ら子育てを困難にしていると自覚すべきである。著者は小さな子供がいる家庭はテレビを撤去することを推奨する。

※日本で言えば、宮崎駿のアニメなど最悪であろう。宮崎駿自身が共産党シンパの極左であるが、宮崎の作品は、風の谷のナウシカ、トトロ、千と千尋、もののけ姫、どれをとっても「正義の子供が悪の大人をやっつける」系のとんでもない内容である(音楽は素晴らしいが)。腑抜けたアニメオタクが増殖するのも当然であろう。

マナーについて
朝は「おはようございます」、返事は「はい」。人としての基本は挨拶からである。テーブルマナーをしっかり身につければ他人の家で恥をかかずにすむ。きちんとしたマナーは他人への敬意となり、ひいては自尊心にもつながる。親が手本を示すべし。

小遣いについて
数が認識できるようになったら、ちょっとした楽しみができる額(週に200円程度か)が適当である。親は貯金することを教えるべきである。少なすぎれば意味が無く、多すぎれば有難味を知ることが出来ない。家事をするのは「当たり前」であるから、それに対しての報酬ではないこと(小遣い無しの代わりにサボってよいわけではない)をはっきりさせるべし。

食事について
著者は幼少期の子供は別テーブルにつかせ、大人と同じものを食べさせることを推奨する(大人の邪魔をせずにマナーよく食事できるようになったら同席を許す)。促さず、さりとて強要もせずである。要らないならラップをかけて保存し、次の食事に出す。好き嫌いは断固として否定すべし。嫌いなものも含めて少量を皿にのせて出す。全部食べたら追加する。子供のために特別に「お子様メニュー」を作らない。子供は家庭の主ではない。※ファミリーレストランでよく見かける”すったもんだ”の光景は不要である。

著者による講演

 

「同性愛を予防する方法」 読了

  • 2015.05.15 Friday
  • 09:29



"A Parent's Guide to Preventing Homosexuality"
Joseph Nicolosi, Ph.D., & Linda Ames Nicolosi

アメリカ、ヨーロッパの一部で同性婚の合法化による社会変革が進んでいる。日本でも一部の自治体でパートナーシップ条例が成立し、”結婚式”を挙げた同性カップルが拒否されるのを承知で役所に結婚届を出しに行き、それをソーシャルメディアで公開するなどLGBT活動家の大胆さが目に余るものとなっている。多くの保守がこの危険な兆候に対して沈黙を守っている。そのような気味の悪い今日この頃であるが、世に氾濫する俗説を一掃してくれる一冊に出会った。本書は危機迫る日本において緊急出版されるべきほどの内容であるが、それを待っているわけにもいかないため、その一端を紹介したい。

同性愛とは何なのか。現在同性愛に関する議論で最初のボタンの掛け違いがこの問いに対する答えである。同性愛とは戦うべき悪であり、癒されるべき病である。同性愛者自身は犠牲者であり、攻撃の対象ではない。同性愛者とは、同性愛という病を背負った異性愛者である。

人間は全て生まれながらにして異性愛者である。これは科学的事実である。同じ遺伝子を持っている双子が両方とも同性愛者である率は38%に過ぎない。もしも同性愛が”遺伝”であるならば、双子は両方とも同性愛者であるはずである。だがそうではない。なぜならば、同性愛は遺伝ではなく、生後の生育環境によって形成されるものだからに他ならない。

遺伝的要素を無視するわけではない。同性愛になりやすい体質は存在する。それは癌や肥満になりやすい体質が存在するのと同じである。「同性愛は正常だ」と強弁する人間は「癌や肥満は正常だ」と同じように強弁するのか、ということである。癌や肥満やその他諸々の病理を抱えた人間は「そのように生まれたのだからそのままにしておけ」と言うのか、ということである。

同性愛は不幸の病である。それは根源は自然の摂理に反することからくる不幸である。同性愛者の人生は不幸にまみれ、短く、不安定である。鬱、エイズをはじめとする性病、孤独、そして自己嫌悪に苛まれる人生である。ある研究ではゲイ(男性の同性愛者)の男性156人のうち、パートナーとの貞操を5年間維持できたのは0人であった。

男性というものは本来的に不節操である。だが通常の男性は女性と結婚して一緒になることで安定化し、更に血をつながった子供を得ることで夫婦の関係が固められるのである。しかしゲイは他の男性と一緒になっても結局はお互いの男性的な部分が残り、決して安定的な関係を築くことができない。二人の間を密にしようとすればするほど裏切りと憤りと疑心暗鬼に満ちた関係になり、お互いの放縦さを容認すればもはや関係と呼べるものではない。

いつ、なぜ、どのようにして、異性愛者として生まれた人間が「同性愛という病」にかかるのか。本書は主として男性の同性愛を取り上げている。というのは、同性愛は大部分男性の問題だからである。2対1、ないしは5:1で圧倒的に同性愛という問題を抱えるのは男性が多い。そしてそれには理由がある。

人間は赤子として生まれ、幼児となり、少年となり、思春期を経て成人となる。重要なのは幼児から少年期、1歳半から3歳、更に12歳までの期間である。

生まれたばかりの赤子は母親と四六時中肌をぴったりよせあって過ごす。そこには母親との密接な関係が生まれる。だが、男児は1歳半くらいになると次第に父親の存在を意識しはじめ、父親と自身を同期するようになる。少年となった男児は父親だけでなく、多くの同性との絆を深めるとともに女性(少女)から離れる。少年と少女がお互いをからかい、貶しあうのはよく見られる光景であるが、これは健康な現象である。その間お互いに距離を置きつつ、それぞれ同性間で男性らしさ、あるいは女性らしさを育んできた少年と少女は思春期を過ぎると今度はお互いに惹かれあうようになる。青年は少女の、少女は青年の中に、自分達とは決定的に違う性質を見出すからである。

一方で一部の男児は幼児期から少年期にかけて父親、あるいは父親の代わりとなる大人の男性との繋がりを得ることなく育つ。その間少年は母親との間の強固に結びつきを維持すると同時に父親や「男らしさ」を忌み嫌い、遠ざかる。場合によっては仕草、服装、声音などが極度に女性化する。思春期に入ると正常な成長を遂げた男児とは逆のパターンで青年に対して「女性としての自分」との違いを見出す。

幼児が少年となり、少年が青年に、青年が大人の男性になるのは、当たり前のように「そうなる」というものではない。大人の男性というものは、「成し遂げられた結果」である。少年の成長にとって、むしろ母親よりも重要なのは父親の存在である。男児が父親から最初に受ける命令は、「女になるな」である。端的に言えば、母親が少年を作り、父親が男を作るのである。

語弊を恐れずに言えば、女児が女性となるほうが簡単である。赤子の時分に母親との間に生まれた結束をそのまま持ち続け、母親から女性らしさを受け継ぎさえすればよいからである。レズ(女性の同性愛)というものは、その母親との結束が破壊された結果起こる現象である。母親の育児放棄や大人による虐待、父親による女児の拒絶(息子が欲しかった、という思いからくるもの)、父や男の家族による家庭内暴力により、「女性でいることは危険である」「男性というものは怖く憎むべきものである」という意識が生まれる。少女がが無意識に女性らしさを否定することから女性の同性愛が発生する。男性の同性愛と比べて少ないとはいえ、1988年から1998年までにレズの性体験をした米国人は15倍にも増えている。いかに社会的な風潮が影響を与えているかの証左である。

同性愛は病気である。その病にかかった人間は家族や社会からの疎外、不安定な関係、浮き沈みの激しい感情、性病といった問題を背負って生きる運命にある。だがその病は治療が可能である。既に同性愛者として成人した人間にも治癒の希望はある。だが他のすべての病と同様に、早期発見・早期治療が望ましい。そして何よりも予防をすることが最善である。

幼児期〜少年期の女性化は最初の兆候である。女性化しやすいのは体が弱い、気が弱い、繊細、優しいといった傾向の子供が多い。例えば、父親がサッカーのコーチで3人の男児がいる家庭において、上の2人はサッカー好きで父親との関係は良いが、「体育会系」になじめない末っ子は父親と疎遠となってしまうというケースがある。父親はそんな「文科系」の末っ子と気が合わない。末っ子は荒々しい男の世界を避けて母親との親密な関係に埋没する。母親は自分を求める末っ子との関係を楽しみ、二人の間には強固な結びつきが生まれる。そのうちに末っ子は母親のしぐさや喋り方を真似、ピンクや赤といった典型的な女の子色を好み、メーキャップをしてみたり、女性の服をまとってみたりするようになる。こうなると、そのまま放置すれば75%の確率で同性愛者として成人する。

男児に女性化の兆候が見られたらどうすべきか。ここは父親の出番である。母親は一歩引いて子を父親の手に委ねなければならない。父親はとにかく積極的に息子と接することである。体と体との触れ合いの機会を出来るだけ多く持つこと。一番良いのは、父と子でじゃれあい、一緒に風呂に入ることである。そうすることで、子供は女の子の遊びとははっきりと異なる男らしい遊びを覚え、男の体がどのようになっているかを知る。

同性愛者として大人になった男性で父親と戯れた経験のある者は皆無である。彼らは「男性の体への無意識な渇望」が満たされずに成長する。彼らが異口同音に言うのは「父親に関することで良い想い出は何もない」ということである。

男性の同性愛も女性のそれも、結局「満たされぬ思い」は大人になっても癒されることがない。彼ら同性愛者が集まる場所では、往々にして警察、軍隊、革製のジャケットやブーツ、鎖といった、「いかにも」な男性ぽさが強調されるのはそのためである。そしてゲイの男性が殊更に肉体を鍛え上げようとするのも同じ理由である。



女性化の兆しのある子供は先に挙げた例のように既に父親と疎遠になっているケースが多い。父親が手を差し伸べても最初は拒絶するであろう。だが父親はここで怯んではならない。一に根気、二に根気、三、四が無くて五に根気である。手を上げるなかれ。声を荒げるなかれ。匙を投げるなかれ。だが実際にはカウンセラーから同性愛の兆候を告げられても父親は行動せず、やきもきするのは母親だけ、という事例が多いのも事実である。当然ながらそれでは効果不十分である。だからこそ著者はしつこいくらいに「父親よ、動け」と発破をかける。

どうしても運動が苦手な子供はいる。嫌がる子供に無理やりボールを投げつけても逆効果である。絵をかくのが好きな子供や音楽を奏でるのが好きな子供もいる。それはそれでよいのであって、せっかくの興味や才能を封じる必要はない。父親が息子と「何かを一緒にすること」が大事なのである。ただし、息子がいる部屋で自分の観たいテレビを観るだけ、というのは一緒に何かをしたことにはならない。息子が「父親は自分のことを気にかけてくれている」と気づくことが重要である。

著者は父親の役割を端的に示すある心理学者の言葉を紹介する。

「父親達よ、息子を抱いてやれ。さもなければ、いつの日か、他の男があなたの息子を抱くであろう」と。

不退転の決意で親が子供に臨む。バービー人形やお姫様人形を徐々にガンダムに切り替える。「お母さんごっこ」を徐々に「プロレス」や「戦争ごっこ」に切り替える。父親は子を男だけで外に連れ出す。散歩でも買い物でも車にガソリンを入れるだけでもよい。「男だけでXXに行くか!」「今日は男同士だな!」「男の子というものはなぁ。。。」「男ってのはなぁ。。。」「なあ息子よ、将来はどんなタイプの娘と結婚したいのだ?」などと、男っぽい話をする。親の決意の根本には無限の愛情がなければならない。

そうこうするうちに、それまで疎外感を持っていた子供は徐々に女の子っぽさが薄れ、次第に少年らしい荒々しさが顔を出す。声のトーンも下がってくる。手をヒラヒラさせながら腰を振って歩く不適切な動作も影をひそめる。だが、回復への道は一直線ではない。すっかり男の子らしくなって良かったと喜んでいた矢先に気づいたら着せ替え人形で遊んでいたり、10歩進んで9歩後退の連続である。

思春期を経て大人になり、完全に同性愛者としてのライフスタイルに染まった人間にも救いはあるのか?著者はカウンセラーとして数多くの成人の同性愛者を治療してきた。本書ではいつくかのエピソードが紹介されている。確かに治癒は困難である。本人の意思を維持する困難さもさることながら、同性愛社会は「同性愛からの脱却」に対して極めて非寛容である。彼らの教義上、それは語ることすら許されざることなのである。だが希望はある。それは多くの元同性愛者が実証しているとおりである。

1973年は同性愛の歴史上の分水嶺であった。その年、APA (全米精神医学協会)は科学的検証ではなく政治的思惑に基づいてある重要な決定を下した。Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (DSM=精神障害の診断と統計マニュアル)からの同性愛の除外である。それまで精神的な異常であるとされ、医学的処置の対象とされてきた同性愛という現象が、それ以来「正常」と扱われるようになったわけである。その決定が与えた負のインパクトは大きい。

この世は同性愛にまつわるインチキ情報で溢れているが、本書によって我々は眼の曇りを取り去って同性愛の本当の姿を直視することができるようになる。そして本書に感化された親が一人でも増えることで同性愛という病は減っていくはずである。同性愛のいない世を望むのは無慈悲なことではない。それは癌に苦しむ人がいない世を望むことと同じである。歴史的に多くの重篤な病が克服されてきた。同性愛という悪の病もその一つになってはならない理由は無いのである。


参考:
Origins of Homosexuality, Preventing Homosexuality in Children, Gay Kids 
福音派のキリスト教指導者、ジェームス・ドブソン博士による講演と二人の元ゲイによる同性愛脱却の物語。同性愛を治癒することが出来ない、という俗説がいかに嘘であるかがはっきりと分かるはずである。必見である。

"The Well-Behaved Child"読了 躾の極意

  • 2015.05.03 Sunday
  • 13:43



本書は子供の躾に関する本であるが、いわゆるハウツー本ではない。そもそも人間とは、大人とは、子供とは何であるかという根源的な観点から子育てを語り、「行儀のよい子供」をいかに形成することができるかを掘り下げる。本書は戦後、特に60年代から顕著になった左翼リベラル、フェミニズム、精神医学による悪影響を受けた育児・教育論に喝を入れる。正しい答えは古き時代にある。欺瞞に満ちた昨今の似非教育論を排し、60年代以前の伝統へと立ち返ることで、健やかな子供の育成と幸福な家庭生活とを実現することができると著者は言う。

親から子への最高のプレゼントは、玩具でもお金でも遊園地や動物園へのお出かけでもない。無粋に響くかもしれないが、それは「服従」である。服従を躾けられた子供は軋轢の無い幸福な子供時代を送ることができ、立派な善良な市民となり、親元を巣立ち、自分の人生を謳歌することができる。

服従=幸福である。

子供が早い年齢から服従を躾けられれば子供はそれだけ幸福な子供時代を送ることができ、親は軋轢と悩みとフラストレーションから解放される。

服従 - それは金はかからないが何にも代えがたい贈り物である。

子供は悪である。それでは唐突なので、もっと丁寧に言うと、子供というものは”いかにしても”悪いことをするものである。子供の「悪さ」を大人が躾によって除去してあげることで、子供はいつしか善良な大人に成長する。そこを理解することで、子供の聞き分けの悪さを目の前にした親は「育て方を誤ったのだろうか」などと自分を無為に責めることから解放され、リラックスして子育てに励むことが出来る。

子供は純粋無垢な赤子から幼児(1〜3歳)へと成長する。「悪」が顔を出すのはここである。子供は独裁者か犯罪者の予備軍である。泣きわめく幼児が言葉では表現できないものの、実に言いたいのはこれである。

 
  • 王様は自分だ!
  • 周りはボクの言うことを聞け!
  • やれといったらボヤボヤしないですぐやれ!
  • 言うことを聞かないヤツは許さないぞ!

これを大人になってもやっている有名な人物がいる。



なぜ子供は反抗し、悪さをするのか。それは単純に楽しいことであり、大人を困らせることが面白いからであり、自身に注目を集めることができるからであり、大人との交渉に使えるから(大人しくしてやるから、その代わりに玩具を買え)である。だからクセになる。止められない。そのまま育てば上の写真の人物とよく似た人間になるであろう。

躾とは悪を退治することであり、その手段は「罰」である。罰とは、大人として悪い事をやったら社会的に食らうであろうしっぺ返しの「軽い版」である。罰は悪い行いへの報いであり、戒めであり、教訓である。それは子供にとって「身に沁みる」ものでなければ意味がない。十分に強烈でなければならない。端的に言えば、罰とは「生活水準引き下げ」である。子供にとっての生活水準の決め手は自由と楽しさ。その自由と楽しさを奪い、適度な苦しみを感じさせることである。それは時には玩具を取り上げて部屋に閉じ込めることであり、時にはお尻をペンペン叩くことである。

躾をするうえで重要なのは親の権威(リーダーシップ)である。権威の要素は/頼、尊敬、I従、っ蘋燭任△襦親は信頼と尊敬に値する行いをし、子に服従と忠誠を要求すること。実行段階での要点は意思伝達である。親が子に対して何かを指示する時、堂々と簡潔に、断固とした態度で伝えること。余計な説明をしない。「なんで?なんで?なんで?」に対しては「これは命令です」と一言。

なぜ余計な説明をしてはならないかというと、それは口論の機会を与えるからである。余計な説明とは、たとえばこれである。「あのね、Aちゃん。3時にね、ママのお友達がくるのね。だからちょっとここのオモチャ片づけようか。あんまりグチャグチャだとさァ、お友達にあれぇー汚ーい、って言われちゃうからね、どお?できる?」。子供はすかさず切り返す。「あっちの部屋使えばいいじゃん」「まだいいじゃん」「隅っこだけならいいじゃん」「汚くないじゃん」。説明すればするほどに口論の機会は満載である。

親が子と口論を始めたら、その瞬間に親の権威は失墜である。口論というのは同等の立場だから成立するものである。口論をするということは、親が自ら子供と同列に立場を引き下げているわけである。権威が失墜したら服従もへったくれもない。クドクドと文句を言ったり怒鳴ったり激高するのもダメ。それは自己制御不能の状態を親自ら晒す行為だからであり、同様に権威失墜につながるからである。

指示は一言でよい。むしろそうでなければならない。「いい?分かった?」と聞かない。「分かんない」「分かんないじゃないの!」「だって分かんないもん!」「だから!分かんないじゃないって言っているでしょ!」とまたもや口論である。また、「あれ、Aちゃん、約束を忘れたの?」のような余計な警告をしない。子供の不服従に対して警告すれば、服従するフリをしたり、不服従を小出しにして反応を見たり(イランの核開発のように)と親を操作しようという挙に出る。服従しなければその時点で判定してビシッと罰を与える(罰を実行するのは状況により後でもよい)。子供は不服従の結果どうなるかを身をもって学ぶ。そして次は服従を選択する。

服従を選択することを覚えた子供は楽になる。親に議論を挑み、親と交渉し、親を操ろう、などという試みに無駄なエネルギーを費やす不毛さを知るからである。

罰するべき行為は以下である(著者はD-Wordと呼ぶ)
Disrespect(無礼)
Defiance(不服従)
Destructiveness(破壊的行為・暴力)
Deceit(嘘・騙し)
※本ブログではこれら全部をまとめて「不服従」としている。

罰を与えるにあたっての注意点は、「苦難を子供へ!」である。親が苦しむのではなく、子供が苦しむような設定にすること。さもなければ不服従に対する教訓が得られず、問題を自分で解決するクセがつかないからである。

「ご褒美」ではなく「罰」という部分が肝心である。大人しくしたから、あるいは言うことを聞いたからと、ご褒美をあげげたのでは後の交渉に使われるだけである。「言うことを聞いてやるからアイスクリームを買え」と。「買ってくれないの?じゃあ言うこと聞かねェ」と。

行いの改善に対しても、同じ理由でご褒美は禁物である。著者はむしろ(重篤な場合に限るが)、"Piling On"を薦める。"Piling On"とはこれである。



アメリカン・フットボールで、下の人間が立てないように「これでもか」と重ねて覆いかぶさる戦法である。一つの重大な不服従(例えば親に対して”バカ”や”死ね”と言うなど)に対して罰を与えた後で、子供が何かに対して許可を求めた際、「あの時お前はこれをやった。だからダメ」と言って却下する。それを4回5回と繰り返す。これは子供の脳理に嫌というほど焼き付けるためである。ただし、これを年中やっていたら効果が無くなるだけでなく子供の心に傷を与えてしまうため、重大な不服従に対してのみ適用すべきである。

本書はいくつかの局面での有用な示唆を与えてくれる。

寝る
夫婦と子供は別にすべし。結婚とは一男一女の契りであって三人の関係ではないということを、子供なりに知るべきだからである。著者は繰り返し「子供を家庭の中心に据える」ことを警告する。子供を王様にするなと。家庭においては夫と妻の結婚生活が第一であり、週に一度は子供を預けて夫婦でデートするべきである。

食べる
乳児や幼児を大人と同じテーブルに座らせるべからず。なぜならば、そうすることによって否応なしに子供はその場の注意関心を一身に集めることになり、結果として周囲の大人が「召使い」になってしまうからである。「これがいい!」「これいらない!」「これもっと!」「やだ!」それに対して大人が右往左往する。子供は「召使い」の働きがお気に召さないと癇癪を起して泣きわめく。ならどうすべきか。

幼児は大人が食事をする前に別のテーブルに座らせ、食事を与えること。12か月〜18か月は哺乳瓶をやめてボトル(sippy)に切り替えること。食べることを手伝わず、促しもせず、一言「さあどうぞ」。全部食べて、足りなければ必要な分量だけ追加する。残したらラップしておき、次の食事で出す。好き嫌いや文句は却下。大人が他人の家で出された食事に文句を言ったら失礼に当たる。その常識を訓練するわけである。

Sippy


著者は子供は5歳までは大人と別に食事をするべしとする。それにより、自分の立場をわきまえ、大人の食事を邪魔せず、行儀よく食事をすることのできる子供になるのだと。

出す
トイレの練習は15か月〜24か月で完了すること。くれぐれも遅らせるべからず。トイレが自分で出来るということが子供にとっては無上の誇りとなる。水をタップリ与えてタイマーを1時間でセット。鳴ったらトイレへ。どうしてもオシッコをしようとしなければ、するまでトイレに閉じ込めるのも手である(苦難を子供へ!)。トレーニングパンツの類は使うべからず。オムツを取り去り、普通の服を着させる。もしウンチやオシッコで服が汚れたら自分で手洗いさせること(苦難を子どもへ!)。本書では、子供が何年もオムツ離れできない、と悩んでいた親の子供が、「苦難を子どもへ!」方式によってものの数日で自分でトイレに行けるようになった実例が紹介されている。

変わった癖・罪のない悪戯
体をひっきりなしに引っ掻く、毛を抜く、頭を物にゴンゴンぶつける、といった変わった癖を持つ子供がいる。ほとんどの場合、精神的な問題でも身体的な問題でもない。何らかの理由で不合理なことをするのが子供というものである。また、家のものを取って隠すなど、悪と呼べないレベルではあるが迷惑な悪戯がある。そういった場合に推奨するのが「創造的な方法」である。

一つの例が「医者に相談」である。医者といえば、場合によっては親以上に権威がある。「あのなA太郎、今日お医者さんに相談したんだが、お医者さんが言うには、体を引っ掻くのは睡眠が足りないからだそうだ。だから、今日から6時におネンネだ」と告げ、実行する。すると子供は毎日6時に寝なければならない鬱陶しさ(苦難を子どもへ!)から逃れようと、引っ掻く癖をあっさり放棄する。

もう一つは「ドラマ性の喪失」である。子供が悪戯するのは、ドキドキ・ワクワク感があるからである。それを無くしてしまうのである。例えば子供の部屋に「オモシロ箱」とでも書いた箱を置き、「お父さんとお母さんのモノはなんでも見ていいから、見たらこの箱に入れてな」と言っておく。すると子供は勝手に取ったモノをいじくりまわしてからその箱に入れる。すぐにどうでもよくなり、「盗み・隠し癖」は消える。

勤労奉仕と尊敬の精神
子育ての目的は、良き市民を輩出することである。良き市民とは、他人に対して尊敬の念を持ち、報酬以上に与えることを旨として勤労に励む人間のことである。3歳から少しずつ日常の家事を手伝わせるべし。基本的な家事に対しては報酬としての小遣いは無しが望ましい。6〜7歳あたりから料理を覚えさせるのもよい。

人を尊敬する謙虚な子供にするためには、自我意識を肥大化させないことである。具体的には褒めすぎない、おだてないこと。限りない愛情を注ぎながらでも出来ることである。

その他
  • 悪の退治は早いほど良い。癇癪・ギャン泣きは3歳の誕生日までに潰すべし。
  • テレビもビデオ・ゲームも白痴の箱。撤去するのが望ましい。
  • 心理学者は本書を反動的で非人間的と非難するだろう。彼らの言うことを聞くべからず。
  • 特に10代では部活動を家庭生活の中心にしないこと。子供が朝早くから夜遅くまで土日も出勤で部活動に励んでいたのでは時間も活力も部活動に吸収されてしまう。家庭生活が一番重要である。

子育てはノウハウではない。哲学である。本書には沢山の事例やノウハウが列挙されている(悪さをするたびに日割又は週割チケットを切り、チケットが無くなると罰則を加えるチケット制等)。それを詳しく知りたい人は原書に当たることをお薦めしたい。だが、それらハウツーを断片的に会得して実行しても意味がないし効果も無い。大切なのは、それらを実行する基礎となる洞察である。その洞察こそが本書の肝である。

「Bringing Up Boys」読了

  • 2015.04.18 Saturday
  • 18:28

心理学者にして福音派のキリスト教指導者、ジェームズ・ドブソンの著書、「Bringing Up Boys」を読了した。



タイトルにあるとおり、本書は男児の子育てを説く本である。

なぜ「子供の育て方」ではなくて「男児の育て方」なのか。それは女児と男児では育て方が違うからである。ジェンダー・フリーなる言葉が昨今流行りであるが、本書は子育てにおける男児特有の難しさを認める一方、伝統的な価値観「男の子は男の子らしく」に立ち返ることを説く。情報過多と混乱の時代にあって伝統と常識の良さを再確認できる「古風な」教育指南書である。

母親と父親の役割
子育てに最適な環境は父親と母親のいる安定した家庭である。両親の離婚は子供の心に深い傷を残し、学業不振から犯罪まで様々な問題を引き起こす。離婚や同棲といった無責任がまかり通る我々の社会において、子供たちは最大の犠牲者である。離婚に至らなくても、夫と妻が不仲の場合、夫は妻への「仕返し」として息子を無視する手にでることが往々にしてある。同棲はコミットメント不在のことであり、子育て以前の状態である。子供たちには逆風が吹いている。彼らを守り、未来の社会の礎を築くのは我々親の任務である。

男児を育てるうえで年齢的には重要な節目が二つある。1回目は3歳〜5歳、2回目は10〜13歳である。1歳半から3歳までは男児にとって母親が全てである。男児がこの時期に保育所に預けられて母親と過ごす時間が限られてしまうと集中力の欠如や乱暴な行動といった問題を起こしやすくなる。だが3歳を過ぎてからは今度は父親の役割が重要となる。父親は子供を乳児から男児に変えていかなければならない。それは徐々に子供を母親から引き離し、男の世界へと引き込んでいく過程である。引き離すとはいってもいきなり完全にではない。

男児は晴れて男性となるまでの間、母親から慈愛・繊細さ・優しさ・同情心を、父親からは男性としての在り方を学び続ける。この乳児から男児への移行期に父親の育児放棄や無関心、虐待や悪戯(親、親戚、知人等の性的悪戯など)によって子供は混乱し、場合によっては同性愛という異常が生じる(本書ではその初期兆候を見分け、対処するための注意点が詳細に記されている)。乳児が男児になり、男児が男性になるというのは偶然でもなければ当然でもない。親の、特に父親の意思の力によるものである。

思春期の男児は挑戦的な態度や激しい行動でしばしば親をイラつかせる。この行動を誘発するのはテストステロンである。この行動の背景にあるのは敵意ではなく、「女性でない存在」としての自然な衝動である。親は男児が軌道を外さないようしっかりと見守りつつ、過剰反応したり放任したりするのではなく、特に父親が壁となって立ちはだかり、常識ある市民としての型にがっちりとはめていくことが重要である。男児も反発しながらも、内心ではそれを期待しているのである。そこで放棄された男児が非行に走り、あるいは大人になって凶悪犯罪に走るのである。

男の子らしさ
「取っ組み合い」や「戦争ごっこ」は男の子らしい遊びの代表であり、奨励されるべきである。著者は小さい頃の思い出として「父親との蹴りあい」を挙げる。蹴るといっても、当たり前だが父親は小さな子供を全力で蹴っ飛ばすわけではない。蹴り、蹴られ、逃げ、追いかけの「じゃれあい」である。母親は驚愕するかもしれないが、男児にとっては思い切り体を動かし、父親の強さを知り、男らしさを感じる大切な瞬間である。多少の傷がついても構わない。男児にとっては、どのようなプレゼントや旅行よりもこのような遊びが最も思い出に残るのである。

規範・ルール
著者は一つのエピソードを紹介する。著者の家族と友人の家族とで2泊3日のスキー旅行に出かけた。だが生憎その日は猛吹雪で外に出られない。次の日も同じ。ロッジにこもりきりで子供たちは退屈しまくり。そして日曜日の朝。吹雪は収まり、晴れ渡る青空に真っ白に輝くゲレンデ。だが日曜日の朝はキリスト教徒にとっては教会の時間。ドブソン氏は悩み、両家族を集めて言う。「なあみんな、どうだろうか、神は今日くらい例外を許してくれるのではないだろうか」みんなハッピーでレッツゴー!と思いきや。。。ドブソン氏の息子、ライアンが泣きじゃくっている。「どうした?」氏は息子が放った言葉に衝撃を受ける。「お父さんは、今まで妥協したことなかったよね。日曜日は絶対に教会に行かなきゃだめだって今までずっと言ってきたよね。なら今日だって、そうしなきゃダメじゃないんかい」

男児は父親を見ている。安易な妥協をすれば男児は落胆し、「人生とはそんなもんか」となる。虚ろに響く父親の言葉を冷笑的な態度で受け流すようになる。男児は規範を求めている。それを与えるのは父親である。

しつけ方、叱り方
まずは事前に要求事項を伝える。「お店に入る前に。。。お店では大声を出したり走ったりしたらダメ。それから、“いいよ“と言うまでは商品に手を触れないこと」

解き放たれた子供が好き勝手にドタバタと始めてから「おい!コラ!お前!そっち行くんじゃねえ!うるさい!騒ぐな!ダメ!ダメだって言ってんのが聞こえねェのか!」とわめくのではなく、事前に伝えておくというのが大事である。だが考えてみれば、予測される事態を想定し、約束事は事前に伝える、というのは基本的な社会生活の手順である。それを子供が小さな頃からしっかりと共有するのは実に意味のあることであろう。

だがそれでも子供が従わない場合は?氏は体罰を奨励する。体罰と言っても衝動的にブン殴るわけではない。

「君、約束を守らない場合は家で何が待っているか、分かっているだろうね」

家に帰ってオシリを(顔ではなくて)ペンペンである。約束事項は何であったか、そしてどのような違反があったかかを淡々と述べ、「分かっているな」と。事が起こってから衝動的にギャアギャアわめくのでは、男児は単に受け流すか、親が自制心を失ったのを見て内心せせら笑うか、場合によっては心に傷を負う。いずれにしても何も得るものは無い。だが手短な説明と制御された体罰により、男児は許される行為と許されない行為をカラダで覚えていくのである。

また、子が言うことを聞かない場合、競争を好む男児ならではの性格を利用するのも手である。食事の時に牛乳を飲まない息子に手を焼いたある父親がどうしたか。「なあ、じゃあお父さんも飲むぞ。競争だ。いいか、三、二、一」 … 「お父さん、もう一回やろうよ!」

子供を言葉で傷つけることに細心の注意を払うべきである。突発的な衝動で嫌味を言ったりバカにしたり蔑んだりすれば、それは一生傷として残る。明らかに子供の側に責めがあるとしても、である。一旦放たれた言葉は消去することは出来ない。大人が自制心を利かせることで、社会生活で最も重要な資質である自制を子供に教えることになるのである。

信頼
「僕を信じないの?」これは男児が友人宅にお泊りして悪さを企むときの常套句である。親はうかつに「信頼の罠」にはまってはならない。実社会において、信頼は実績に基づいて段階的に与えられるものである。ヒラ社員は万単位の契約ですら独断では許されない。「信じる・信じないじゃなくて、誰にどの程度の信頼を与えられるか、という問題なのだよ」と教え諭してあげなければならない。

イジメや危害からの保護
もし子供が学校でいじめにあったならどうすべきか。氏は何がなんでも男児を保護すべきであるという。子供の世界は弱肉強食である。教師が常に目を光らせ、いじめがあった際には断固たる態度で対処する環境でなければ、子供はやるかやられるかの毎日を過ごすことになる。わが子がいじめられているのであれば、先ずは親同士で話し合い、それでも収まらなければ、親は転職をして引っ越しし、転校することも厭うべきではない。ホームスクーリングに切り替えることも手段である。男児は女児以上に繊細で傷つきやすい心を持っている。幼少時に痛めつけられれば心の傷は一生残り、後々の社会生活にも影響を及ぼす。子供の保護は何にも優先されるべきである。

様々なメディアから子供を守らなければならない。テレビ、パソコン、DVD、スマホ、ゲームの類は子供部屋に入れてはならない。研究により子供の脳は実際の人間と接することで発達が促される一方、テレビはその過程を阻害するという研究結果がある。しかもテレビやゲーム類の内容は益々有害で過激になっている。残虐で性的なシーンは男児の脳に取り返しのつかないダメージを与える。残虐さに慣れさせるために軍隊の特殊部隊ではあえてこの手法が取り入れられている。これまでの青少年の暴力沙汰の研究より、メディアが与える悪影響は疑う余地が無い。

また、テレビではポストモダニズムの影響を受けた有害なメッセージが垂れ流しである。ドラマや映画では強く賢く自立的な女性と弱くバカでふがいない男を描写するものが多い。90年代以降の人気映画・ドラマは大体この路線である。また最近は女性が大男をカンフー技でバシバシなぎ倒すなど、あり得ない場面設定が人気である。男児教育の目的は、女性を守り、家族を築き、社会に貢献する男性を育てることである。このようなメッセージが健全な男女関係に与える悪影響は計り知れない。結論はテレビのスイッチを切ること。これに尽きる。

ホームスクーリング
著者は、もしもやり直せるならば、二人の子供をホームスクーリングで育てるだろうと言う。学校制度が疲弊する一方であるのに対し、ホームスクーリングは増加の一途を辿る。充実感、リーダーシップ、学業成績、どれをとってもホームスクーリングで育った子供はピカイチである。事実ホームスクーリングで育った子供がいまや政界や財界で活躍し始めている。著者は「ホームスクーリングでは子供の社会性が育たない」という偏見を一笑する。ホームスクーリングとは言え、子供を家に閉じ込めるわけではなく、それどころか、ホームスクーリングでは「学校以外」全てが教育の場となるからである。市場や役所の見学からボランティアまで、「学びの場」は無限である。小額のお金を稼ぐ場を与えて管理させて経済の原理を教え、「消費とは自分の時間と引き換えにモノを得る行為」であることや、「欲しいものを手に入れるためには消費行為を遅らせなければならない」といった意識を叩き込むのもよいだろう。道徳観念が希薄になる一方の社会において、ホームスクーリングは益々脚光を浴びるはずである(米国では既に一般化している)。

神の存在
幼少の時分から神の存在を教えることは極めて重要である。親は完璧ではない。そして完璧である必要はない。だが神は完璧である。なぜならば、この世の全ては神の計画によるものだからである。神は道徳の源泉である。創造主たる全能の神が「盗るな、殺すな、欺くな」と命じるから、人はその命令に従わんとし、道徳が生まれるのである。神を否定すれば、道徳は無い。男児は本能的に正義を愛し、不正義に敏感である。神が命じる道徳に基づいた正義を教えること。それは人生の基礎を叩き込むことでもあるのである。神を信じる男児は、そうでない者と比べて正義感があり、精神的に強く安定した男性に成長する。宗教的な家族には強い絆が生まれる。

私はキリスト教徒ではないが、神という存在を意識する重要性には同意するものである。神は「白い髭を生やして優しい目で世界を見下ろすお爺さん」ではない。神には姿形は無い。いやもしくは有るのか。それは人知の及ぶところではない。

女性との接し方
男児は父親の姿を見ながら女性との接し方と振る舞い方を学ぶ。父親と母親がどのような言葉を交わすか。父親が女性をどのように扱うか。父親が母親に対して敬意を欠いた態度を取れば、それは子供に伝染し、子供は母親をバカにするようになる(逆もまた真である)。父親が女性は単なる性のはけ口であるという態度を取れば、男児はその態度を身に着けて少年から青年となり、その考え方に沿った行動をとる。

著者は昨今の性の解放を戒める。「性行為は結婚してから」は世界のあらゆる文化における伝統的価値観であった。その価値観が社会において崩壊する今、精神不安定や性感染症の蔓延をはじめ、様々な問題が発生している。伝統的価値観に立ち返り、有害な風潮から子供を守ることが出来るのは強い意志を持った親だけである。

本書は男児特有の「課題」である自慰や性について、また10代の非行や学業不振についても常識的で穏当な解決方法を解説する。いずれの課題においても、男児が男性になるには父親の存在は欠かせない。著者は世の父親に対し、くれぐれも男児を放ったらかしにしないようにと注意する。

著者は子育てを空軍の飛行訓練に例える。実際に飛行する前に、訓練生は地上で様々な基礎訓練を積む。いざ飛行となっても教官の補助付である。時々危うい飛行を繰り返しながら徐々にコントロールできるようになる。男児がある程度の年齢になれば、親は徐々に手を放してやらねばならない。子はそれまでの教えを基礎に、大空に羽ばたいていくはずであると。


追記
母親と父親から男児はそれぞれ違う特性を学ぶことでバランスのとれた人格を形成することができるという事実を知れば、「同性婚」なる考えがいかに馬鹿げたものであるかが分かろう。

以前、山梨の富士北陵高校という学校で、男女の生徒が制服を交換して通学する「試み」が行われた。「常識を覆す斬新なアプローチ」などと持ち上げるバカがいるが、こういうことが行われる(許される)という異常事態に、我が日本もあるのだという事実を認識しなければならない。

ホーム・スクーリングでは親が教材作成から教師の代わりまで全てをこなす必要は全くない。必要に応じて外部の支援を得たり、教材は世界各国で作成されてネット上にアップされる優れもの(無料も多い)をアプリ選びの感覚で選択すればよいのである。

Fugu Plan - Book Review

  • 2015.03.23 Monday
  • 01:21



This is a gripping story of Jewish survival in the heights of Holocaust. During 1930s and 40s, Jews were persecuted not just by Nazi Germany but by Soviet Union as well. 

Jews in Europe were rejected by the world - by the United States, Britain and South American countries. Having nowhere to go, the only country who accepted those Jewish refugees was Japan. Thousands of those Jews found its way through Siberia to Japan and then later to Shanghai where Japanese military ruled.

"Fugu Plan" was devised by Japanese government during the 1930s. The purpose was not only to save Jews from humanitarian reason, but also to use "Jewish power" to revitalize the economy of Manchuria and to prevent degradation of relationship between Japan and United States which had already been in danger of war.

Those responsible for implementing the plan (Five Minister's Conference on December 5, 1938) were;

Prime Minister Prince Fumimaro Konoye
Foreign Minister Hachiro Arita
Army Minister General Seishiro Itagaki
Naval Minister Admiral Mitsumasa Yonai
Finance Minister Seishin Ikeda

They were the top echelon of the Japanese government on the day who reported directly to the Emperor. And the purpose of the conference was to discuss Jews who were flowing in from Europe.

One of the crafters of the plan, Norihiro Yasue, an Army officer was the one who had translated "The Protocol of the Elders of Zion" into Japanese. The document is a notorious anti-Semitic slander. In Europe, it was used to kill Jews. In Japan, however, it was used to understand "how powerful Jewish people were and dominant in the society in Europe and the US. It led to the over-estimation of the Jews' influence on the US politics and their solidarity as "a people". It is, however, ironic that the policies of the Japanese government that saved the Jews had largely been based on that "misconception".

Japan was "feeling the heat" primarily from the US in the late 1930s and early 40s, and so wanted to find a way to avert a possible collision. For the top government echelon, "Jewish power" was the key. We thought, by accepting the Jewish refugees from Europe in large number, we could lure "powerful" American Jews on our side, thereby appeasing hostile FDR administration, thereby preventing the war, thereby letting the much needed capital flow into Manchuria and revitalizing the economy of the country that we had helped establish...

We were, on the other hand, becoming the ally of Nazi Germany and were also receiving the heat from Germany against our policy of harboring Jews in Yokohama, Kobe, Manchuria and Shanghai.

Our top government officials were divided on what to do about Jews. There were pro-Jewish faction and pro-Nazi faction in our government. Their final decision was "to protect the Jews no matter what, but do so unofficially" - 1) we treat all races equally, 2) we oppose Nazi racial policy, 3) we are not a servant state of Germany, 4) as an ally of Germany, however, we keep "a low profile" on Jewish matter, 5) and we still want "powerful" American Jews to turn to us...

Japan presented the plan of relocating 30 thousand Jews to Manchuria to the most influential figure in the US, Rabbi Stephen Wise, the President of the World Jewish Congress, asking for support and funding of the operation. Stephen Wise, a liberal  progressive and a close FDR associate, flatly refused to cooperate, saying "I think it is wholly vicious for Jews to give support to Japan, as truly Fascist a nation as Germany and Italy".

European Jews - terrified and exhausted, kept flowing in to Kobe where there was a Jewish community by thousands until the transportation became impossible due to the war between Soviet Union and Germany. 

 

At 4:00 on Sunday afternoon (June 22, 1941), it was announced that Germany, carrying her treaty allies with her, had declared War on the U.S.S.R. Now, no more ships at all would come from Vladivostok to Tsuruga. Those parents, brothers, cousins and friends who had not made it out by now, never would. Since the end had begun in 1933, seven hundred and eighty five thousand Jews had fled from Europe. Of these, approximately four thousand six hundred had escaped through Japan, many of them with no other backing than the strange benevolence of the Japanese Foreign Ministry and War Department. Now all had come who would ever come. A curtain of war was now closed across Europe. When it opened again in 1945, three quarters of the European Jewish population would be dead.


While Jews were dying in Europe, their brothers and sisters found life in Japan.
 

Japan seemed so clean, especially after the stinking boat: clean, cloudless sky, clean street, clean shops, clean people... 

 

It was so different from Europe. No one seemed angry. No one seemed suspicious. The vegetables, flowers, sacks of rice, barrels of fish, stacks of china, everything sat out for all to touch — or take; but shopkeepers often turned their backs to the street, apparently oblivious of any danger of pilferage by passersby.


Customs officials who examined the refugees' visa "closed his eyes" on lost documents and even apparent forgery. More people came in than they went out, as US and other countries tighten the restriction on immigration. We accepted refugees on the prospect that they would later obtain visas for other countries, which in many cases they never did.

In Kobe, it was becoming more and more difficult for the community (and Japanese government) to retain the massive number of Jewish refugees. Even Jews protested to the Japanese government "not to accept Jews anymore" (such a brotherly love!) from the annoyance of sharing their living space with "strangers".

The next step that the Japanese government took was to move those Jews from Kobe to Shanghai where there were large diverse Jewish communities. But, life there was much harsher with small living spaces, scarce foods and much less work to earn a decent living.

 

Japan had been clean and fresh, even in the summer heat. By comparison, this place was a pigpen. And even from a distance he could see that the Chinese people didn't move calmly and carefully like the Japanese.

 

The most an average refugee could hope for was a couple of tiny, sunless rooms, badly in need of fumigation and separated from the next unhappy family by a plywood partition. Flush toilets were rare in Hongkew; electricity was limited; even phone service could not be transferred without a lengthy appeal through the Bureau for Refugee Affairs.


The US immigration restriction became even tighter. America simply rejected those refugees.

1941 December 7 was the day "Fugu Plan" officially ended. War broke out between Japan and the US. JDC (American Jewish Joint Distribution Committee), to show "patriotism", severed all ties with Jews in Shanghai. But, fortunately, money still tricked in from various sources. And, in Mir Yeshiva (link), Judaism study kept going until the war end.

Meanwhile, Nazis were on the move to round up Jews in Shanghai on the day of Rosh Hashana (September 11, 1942) and to executed all of them. Nazi official demanded Japanese officials to stand-by and watch their "action". Words go out and reached Japan. Counter-actions were taken quietly - 1) registration of Jews, 2) internment of Jews to Hongkew Ghetto, 3) surveillance of Jews. As a result, Rosh Hashana of Jewish year of 5703 came and went in peace, while in Europe, millions of Jews were annihilated. 

In 1943 US State Department announced a plan to exchange a group of "disloyal" Japanese Americans for North and South American nationals in Shanghai.

 

The World Jewish Congress pleaded with the State Department that at least some of the starving Jewish refugees be included. Their pleas were rejected. Secretary of State Cordell Hull allowed no refugees among the small number of exchanges ultimately made. The same people, it seemed, who had refused to open the country to the refugees from Poland in 1939, from Lithuania in 1940, and from Kobe in 1941, still refused them refuge from the Shanghai ghetto in 1943.


The gate of the Jewish Ghetto that had protected the lives of those Jews opened at the end of the war. Later, communist forces conquered China and Jewish life there came to an end.

In writing this book, the author, Rabbi Tokayer, interviewed hundreds of Jews and Japanese who experienced the saga. To convey the flavor of the whole experience, Rabbi Tokayer created nine fictional characters - as aggregate figures representing the thousands of refugees.

While the memory of Jewish life in Kobe, Shanghai and Manchuria fades away in the ash heap of history, sons, daughters and grand-children of those refugees would live on - in Israel, the US, Canada, Britain or somewhere else on this planet...


Remarks:

 
It is known today the US had already been at war with us by breaking neutrality, siding with Kuomintang Chinese months before our attack on Pearl Harbor.

The book described "300,000 Chinese were killed in Nanking by the Japanese". This so-called "Nanjing Massacre" has now been totally debunked as fabrication.

Rabbi Marvin Tokayer Interview (Link)
 

「アメリカ無き世界〜」読了

  • 2015.03.13 Friday
  • 00:01



America: Imagine A World Without Her

アメリカ無き世界… そんな世界が想像できるだろうか

本書はアメリカ讃歌である。世界にアメリカほど素晴らしい国はない。アメリカはこの世の善を体現する国である。アメリカ無き世界は地獄である。

日本人として、私はこのアメリカ観に諸手を挙げて賛同するわけではないが、必ずしも反対ではない。アメリカ人が反米自虐史観に陥るよりは、はるかに健康的である。多少の問題には目をつむってでも自国を称揚するのは一般的に良いことである。

本書の著者、ディネシュ・デスーザはインド系・保守のアメリカ人である。ディネシュ・デスーザは本書において大変重要な指摘をしている。これらは一般に我々が抱く偏見を覆すものであり、アメリカ(及びイギリス)という世界で最も需要な同盟国に対する曇りのない目を持つために大変有用であるため、ここで紹介したい。


白人がインディアンから土地を奪った?

白人がインディアンの土地を不当に奪った。これは「日本軍が先の大戦で残虐行為を働いた」というアメリカ側の主張に対し返す刀で相手を貶めようとする日本人の決まり文句ともなっている。相手側にも無知があるならば、こちら側にも払拭すべき無知がある。

「奪う」という行為は「所有」という概念があって初めて成り立つ。「所有」という概念がなければ「奪う」もへったくれもない。「所有」とは個人の財産権を認め、それを所有者の同意と正当な手続きなしに取ってはならない、とする概念である。

インディアンには「所有」の概念はなかった。彼らの世界では、強いものが弱いものを征服し、弱きものの物を取れば、それらは彼らの物となる。「取ったもの勝ち」の世界である。「所有」の概念のかけらもないインディアンの世界において、彼らから何かを不当に奪うということはあり得ないわけである。

インディアンのスー族はシャイヤン族らを力で圧倒して土地を乗っ取り、彼らを抹殺あるいは奴隷にして滅ぼした。スー族は、白人は「自分たちの土地」を返すべきだ、という。ならばスー族は白人から返してもらった土地をシャイヤン族らに返すのであろうか、ということになるのである。シャイヤン族ですら、その前には別のなんとか族がいて、彼らを滅ぼしたのであろう。彼らの事はどうなるのか、ということである。

白人はヨーロッパからやってきて、確かにインディアンのいた土地を取った。だが、よく考えてみれば、それはインディアンが逆(ヨーロッパに行って白人の土地を奪うこと)をする能力が無かったからに過ぎない。出来たならば、やっていたはずである。実際にそのようにやってきたのだから。ゆえに白人がインディアンの土地を不当に奪ったとする主張は論理破綻しているのである。

また、白人はインディアンの土地を返すべきだ、とする主張も同じく「所有」の観点からみて意味をなさない。ニューヨーク・マンハッタンは摩天楼そびえる世界の中心地である。だが1626年にオランダ人がインディアンから24ドルぽっきりで購入した時には「ただの荒れ地」であった。ヨーロッパからの移住者がその土地を開拓し、建設し、いつしか世界の投資を呼び込んで莫大な富を生む不夜城へと変えていった。かつての二束三文のマンハッタンと現在のマンハッタン。何がマンハッタンを変えたのか。それは労働である。現在のマンハッタンは人々の労働の成果であり、インディアンが「今のマンハッタンを自分らに返せ」、というならば、それは「収奪」である。

マンハッタンは極端な例にしても、あらゆる土地が開拓時代とは比較にならぬほど改善されている。近代化の基礎は「私有財産の保護」である。私有財産の概念の無かったインディアンは何の改善もなく何百年も同じような生活を続けてきた。彼らの地に「私有財産」の概念を持ち込み、「たゆみない改善」をもたらしたのはヨーロッパ文明であった。インディアンが住んでいた土地、はもはや地球上に存在しないのである。ゆえに、これを「返す」云々の議論は意味が無いのである。

更に、インディアンの大半が死滅したのは白人入植者が抹殺したのではなく、意図せずに白人が持ち込んだ病気によって免疫のなかったインディアンが倒れたのであった。ヨーロッパの黒死病など、歴史上では侵略者が持ち込んだ病気で侵略される側が大量死するのは珍しくはなかった。インディアンもその例にもれず、不幸にも多くが死滅した。不幸ではあるが、誰かに罪を着せる類の問題ではない。インディアンの部族間の争いは負けた部族の抹殺か奴隷化に終わった。白人がヨーロッパ文明とユダヤ・キリスト教の価値観を持ち込んだことで、そのような残虐な風習が消えたのも事実である。

「白人はインディアンの土地を返せ」と本気で言うならば、彼らインディアンは現在の文明的な生活を捨て、野山を駆け巡る原始的な生活に戻ることを意味するのである。インディアン地区に住む彼らは望むならばそのような生活が可能である。しかし誰もそのような生活をしようとしない。それが全てを物語っているのである。


先進国は第三世界から収奪して豊かになった?

「先進国はアフリカやアジア諸国から富を“収奪”したから豊かになったのだ。ゆえに、先進諸国は後進国に対して経済援助という形で“お返し”をするのは当然だ」という説がある。ディネシュ・デスーザは、それは盗人の論理であると説明する。

確かにヨーロッパ諸国は征服欲に駆られてアフリカやアジア諸国を植民化し、それによって人々が苦しんだのは事実である。だが同時に事実なのは、アフリカやアジアにヨーロッパ人がやってくる以前、そこには大してモノがなかったということである。マレーシアにゴムの木を、西アフリカへココアを、紅茶をインドへ持ち込んで産業化したのはイギリス人であった。イギリス人が盗むものは何もなかった一方、彼らは植民した土地にこれら産業の基礎を与えたのであった。

しかし旧植民地の国々が戦後独立を果たし、「富を吸い取っていた白人」が去るとどうなったか。多くの国々は貧困に陥った。その背景にあったのがアンチ・コロニアリズム思想であった。これら後進国のリーダーは先進国に対して過去の植民化を責めながら援助をたかった。我々の貧困は旧宗主国の責任であり、資金援助をするべきであると。収奪の発想で成り立つ国にどれほど援助しても権力者に吸い取られるだけであり、これらの国々は長らく貧困にあえぐことになった。

その第三世界も豊かになった。それはひとえに先進諸国との国際貿易のおかげである。後進国は安価で豊富な労働力でコスト競争に勝ち、先進諸国に製品を納品することで富を得たのである。


この本の間違い

さて、この本にはいくつか間違いが見られる。それは歴史認識である。

ディネシュ・デスーザは言う。「アメリカは一度もイギリスやフランスがやったような植民地化をしたことが無い」と。しかしこれは嘘である。アメリカがハワイを併合し、フィリピンを植民地化したのは事実である。フィリピンでは大規模な虐殺も行われている。これらを無視するならば、それはいわゆる「Whitewashing」というやつである。

「アメリカは一度も自ら戦争をしたことが無い。日本が真珠湾を攻撃して初めてアメリカは日本との戦争に入った」と。もちろんこれは歴史的事実に反する。真珠湾攻撃の数か月前からアメリカは中立に反して日本と交戦していた中国国民党を軍事的に支援したのは明白な事実であり、とりもなおさず日本が戦争を始める前にアメリカが日本に対して戦争を仕掛けていたわけである。これについて私はここ数か月ツイッター上で多くのアメリカ人と論戦したが、今までこちらの説を覆す者は誰一人としていない。

ディネシュ・デスーザは言う。「第二次世界大戦でアメリカが参戦しなければどうなっていただろうかと思うと身震いを禁じ得ない」と。これも荒唐無稽な自画自賛である。そもそも第二次世界大戦の種は第一次世界大戦で独裁者・ウィルソンが愚かにもイギリス側に立って参戦したことが原因で撒かれたのである。第二次世界大戦においてもウィルソンの弟子であるフランクリン・ルーズベルトは共産ソ連と結託して戦後の世界的共産化のレールを敷いた。ドイツには反共・反ナチスの闘士がいたにも関わらず、スターリンの意向に沿って彼らとは一切の関わりを拒否(彼らにナチス政権を転覆させ、ドイツを対ソ連戦に向けることが出来たはずであった)、ナチス・ドイツと日本との戦いに兵士をつぎ込み、結果ヨーロッパの半分をスターリンへ明け渡した。

デスーザ氏はもう少し歴史を学ばなければならない。他にもあるが、この辺にしておこう。

議論に勝つためには相手よりも高い見地に立つことである。同じ泥の掛け合いをしていては、「バカ」「アホ」「バカ」「アホ」とお互いに罵声を浴びせあっているに等しく、何の発展性も無い。

「日本は南京で虐殺を行った」と言われれば、歴史を知る我々からすれば「何を無知なことを」と思う。同様に、我々が「お前らはインディアンの土地を奪った」と言えば、歴史を知る彼ら(彼ら自身の歴史に無知な者は除外する)からすれば「また何も知らない日本人がバカなことを」と思うであろう。

無知に根差した非難の応酬は蔑視と憎しみをもたらすだけである。正しい知識に基づき、相手の正当な部分も認めながら自国の正当性を主張すればよいのである。そうすることによって我々は真の理解を得、友人を見出すことができるのである。

「ベンガジ事件の真相」読了

  • 2015.03.01 Sunday
  • 01:30



2012年9月11日、リビア・ベンガジ

「暴徒によるリビア・ベンガジの米領事館襲撃事件は、イスラム教の預言者ムハンマドを冒涜する映画がイスラム教徒の怒りを買い、その映画に対するイスラム教徒の抗議行動が発端となって発生した」とされている。同じ日に発生したエジプトの首都カイロの米大使館襲撃も同じ理由から発生したとされている(カイロでは星条旗が破り取られた)。オバマ大統領は「我々は他者の信教を中傷する一切の行為を拒絶する」「しかし今回のような非道な暴力は、断固として正当化できない」と非難。

「暴力はいけないが、イスラムを冒涜する行為も同じくらい悪い行為である」

このような認識が定着している。

本書「The Real Benghazi Story (ベンガジ事件の真実)」はこれらが真っ赤なウソであることを暴露し、議会証言や記録から読み取れる事実を明らかにするとともに、オバマ政権が隠蔽工作に手を染めている事実を告発するものである。

いわゆる「ベンガジの米・領事館」は領事館ではなく、単なる派出所であった。この派出所は実は領事館としての最小限度の警備も設備も備えておらず、国際法によって定められているホスト国への通知も行われていなかった。当派出所の勤務者からは再三にわたって警備の増強が国務省に申請されていたが、全て却下されていた。却下した張本人はヒラリー・クリントンであったことが本人のサイン入りの記録で明らかになっているが、左翼メディアは一切の報道を拒んでいる。

しかも、派出所のお粗末な警備は誰が行っていたかといえば、テロ組織として有名なアルカイダと繋がりのある「2月17日殉教者軍団」という組織であった。襲撃犯の電撃的な行動は明らかに派出所の内部事情と構造に熟知している者の仕業であった。襲撃を自ら招いたも同然であった。

派出所から2キロ弱離れた場所にはCIAの詰所(別館)があった。警備上、そもそも派出所とCIAの詰所が別々になっていたことがおかしい。派出所を手薄にしておいたのは明らかに意図的なものである。この決定をしたのは当時の国務長官ヒラリー・クリントンであった。派出所とCIA詰所の役割はアメリカから中東各国の反政府勢力に対する援助供給の管理であった。特に彼らが重要視していたのはシリアのアサド大統領に対抗する勢力への援助であった。

このリビア、ベンガジの派出所が出来る前に、アメリカのエージェント達は、独裁者であったカダフィ大佐を倒さんとする勢力への援助を行っていた。スチーブンス大使のもともとの役割はアメリカ、オバマ政権とベンガジに結集していた反政府勢力との橋渡しであった。カダフィ体制が崩壊すると、彼らの矛先はシリアのアサド政権へと移った。

スチーブンス大使はカダフィ体制崩壊後、アメリカがそれ以前にリビアの反体制派勢力に与えていた武器や、その勢力が政権から奪った武器、特にMANPADS(携帯式防空ミサイルシステム)を回収するという任務に当たっていた。武器を回収する目的は、それらの武器をシリア(の反政府勢力へ)持ち込むことであった。

スチーブンス大使は事件があった日、シリア反政府勢力の主力支援国であったトルコの外交官と会談を行っていた。トルコとともにシリア反政府勢力を支援していたのはカタールであった。事件の数日前に、莫大な量の武器がベンガジ港を出港し、トルコを経由してシリアに持ち込まれた。

デンプシー統合参謀本部議長は議会の公聴会で衝撃的な事実を告白した。事件が起きた夜、ベンガジからわずか数時間の距離にある場所で演習をしていた特殊部隊は「ベンガジに行く必要無し」と命令された、というのである。この告白はメディアでは報道されていない。ベンガジ事件のような時のために訓練を重ねてきたドイツ駐留の特殊部隊C-110は、その時わずか1488キロ離れたクロアチアで演習をしていた。事件発生後に急行しておれば3時間半で現場に到着できる距離であった。彼らが急行しておれば事件の成り行きは全く違うものになっていた可能性は高い。この部隊は事件の翌日、何事もなかったかのようにドイツへ戻っていった。

また派出所から2キロと離れていない場所に陣取っていたCIAの要員達は事件のことを知るや即座にいつでも助けに向かえる体制に入っていた。しかし彼らが上司から受けた指令はなぜか「待て」というものであった。彼らのうち数名はあえてその命令を無視して現場に向かい、スチーブンス大使らを守ろうとして命を落とした。

なぜ特殊部隊を投入しなかったのか。その問いに対する政権や関係者の答えは「とても間に合うとは思われなかった」から「襲撃が開始されて90分くらい経つと攻撃が弱まった。もうこれで攻撃が止むと思った。だから部隊の投入を見合わせた。しかしその後また攻撃の第二波がやってきて驚いた」という、いかにも言い訳じみたものであった。一旦襲撃が開始されたら、それがいつ終わるかは誰も知る由がない。にもかかわらず、なぜ「間に合うと思われなかった」と言えようか。また、「途中で攻撃が弱まった」というのはオバマ政権側の言葉のみであり、それを裏付ける証拠は何もない。

クリス・スチーブンス大使は死亡する前に一時病院に運ばれたと伝えられている(映像もある)。だがその病院はアンサール・アル・シャリアというベンガジ派出所の襲撃を主導した集団が管理していた。しかも、政府内の記録において、二つの矛盾する内容が報告されている。「現地時間午前2時51分、病院から大使館にスチーブンス大使の携帯電話で何者かから電話が入り、スチーブンス大使が病院に運び込まれているが命に別状はないと伝えた」というもの。もう一つは「アラブ訛りの男から電話が入り、スチーブンスらしき人物が病院にいるが無反応の状態だと伝えた」というものである。二番目の報告は「スチーブンス大使を病院に運んだのは襲撃の最中にあっても心優しき良き人々がおり、彼らが大使を病院まで運んでくれたのだと考えられる」と続けている。これはあり得ない話である。派出所とCIA詰所が攻撃を受けていて、周辺の道路が襲撃者によって封鎖されている間を縫って自らの命を顧みずにスチーブンス大使を担いで病院までたどり着ける者がいるわけがない。

アンサール・アル・シャリアのリーダー格であるアーメド・アブ・カタラはという人物がいる。この人物はベンガジ襲撃に主犯として関わっていた。一方、1998年に東アフリカで起きたテロ事件に関わっていた、重要度の低いアナス・アル・リビーという人物がいた。この人物は欧米メディアのインタビューにも何度か応えており、隠れもせずに生活していた。アメリカ軍は事件後の10月5日、このアナス・アル・リビーを白昼、家族や公衆の面前で捕獲した。そして翌9日、オバマ政権はこの人物を捕獲したことを公表し、アーメド・アブ・カタラも追っていることも「発表」した。当然ながらそれを聞いたアーメド・アブ・カタラは即座に地下に潜り、いまだに行方は知れない。しかも、オバマ政権は、「リビア政府からはアーメド・アブ・カタラの逮捕に関して了承は得ている」とわざわざ公表した。それ以来、リビア政府は当然ながらアメリカ軍のテロリスト追跡には一切の協力を拒むようになった。この二人の人物を同時に捕まえることは可能であったにも関わらず、それをしなかった。主犯格を逃がすためにわざと優先度の低い人間を捕まえて公表したとしか思えない異常な行動である。

クリス・スチーブンス大使はそもそもなぜ9月11日という最もリスクの高い日に警備の厳重な大使館を離れて危険なベンガジの派出所にいたのか。スチーブンス大使はクリントン国務長官に対して約束があった。それは、「アラブの春」を支援したアメリカがリビアに民主化と平和をもたらした象徴としてベンガジの派出所を会計年度末である9月30日までに晴れて公使館へと格上げさせることであった。そのためにスチーブンス大使には一刻の猶予もなかった。

「アラブの春」の代表であったリビアでは、アメリから反政府勢力が結集していたベンガジへ供給された武器が武装組織に流れ、恐るべき速度と範囲で拡散していたことは国連の報告にも掲載されていたほどの事実であった。武器はカタールやアラブ首長国連邦を経てリビアにわたり、そこから周辺諸国へと流れていた。ベンガジの事件自体がこれらの武器によって実行された可能性も否定できない。

ヒラリー・クリントンの活動はこれにとどまらず、イスラム・テロ組織への武器供給に直接中心事物として関わっていた。議会公聴会にて、ケンタッキー選出のランド・ポール議員はクリントンに質問した。「アメリカ政府はリビアからトルコへの武器供給に何らかの形でかかわっていますか?」それに対してクリントンは明らかに狼狽したように答えた。「トルコ?さあ、知りませんね」と。



オバマ政権が必死で流布し、イメージ工作しようとした「イスラム冒涜映画に怒る一般の人々」の話とは裏腹に、派出所に据え付けられていた監視カメラに映っていたのは「一般人によるデモ」ではなかった。そこに映っていたのは「一般人によるデモが発生していなかった現実」であった。この襲撃は、高度にトレーニングされた軍事集団による軍事行動であった。一般人のデモはマシンガンを持って登場し、周辺の道路を封鎖して高度な軍事テクニックで突入したりはしない。

オバマ政権は事件後、7万ドルもかけてパキスタンでテレビコマーシャルを打った。「(ベンガジの事件を引き起こした)イスラムを冒涜する映画は断じて許せない」と。ソーシャル・メディアのデータを収集する調査会社によれば、当映画がネット上で最初に言及されたのは事件前でなく事件後であった。同日発生したカイロのデモは数日前から「アメリカに捕らえられているオマール・アブデル・ラーマン師の釈放を求める」のが目的であると発表されていた。映画のことは一言も言及無しであった。

更に、オバマ政権はこの映画の作成者で、エジプト生まれのコプト教徒であるナコウラ・バッセリー・ナコウラ氏という人物を捕えて拘束した。氏はいまだに連邦刑務所に収監されている。この映画は「映画」というよりも「ビデオ」である。きわめて作りはチープであり、世界のイスラム教徒を怒り狂わせるような内容ではない。

スティーブンス大使の死はいまだに謎である。検死が行われたのか、行われたのならば結果は何故公開されないのか。

だが、この事件にいたる経緯から、ある程度の推測が可能である。襲撃者達の目的は、MANPADSの回収を阻むためだったのではないか?そして、事件の夜、どこからもベンガジに向かって部隊が送られなかったのは(= スティーブンス大使らが冷酷に見捨てられたのは)、このMANPADSの脅威があったからではないのか?

アメリカの武器回収活動は、イスラムテロ組織にとっては明らかに脅威であり、それを止めさせるために襲撃をした可能性はあるのではないか。

一方、イランの介在も考えられる。イランはシリア・アサド政権の後ろ盾である。アメリカは回収した武器をアサド政権に対抗する勢力へ横流ししている。それを阻止しようとするイランがテロ組織を使って派出所を襲撃した可能性が考えられるのではないか(テロ組織はスンニ派であり、イランはシーア派であるが、時には敵対、時には持ちつ持たれつの微妙な関係にある)。

オバマ政権は真実を隠している。そのため誰が、何のために派出所を襲撃したのか、いまだに明らかではない。だがいずれにしても言えるのは、中東諸国に「民主化の春をもたらす」と言いながら安定を維持するのに役立っていた独裁者を追い出し、彼らよりも凶悪なイスラム原理主義テロリストの手に中東を明け渡したということである。オバマ政権が流した武器は中東各地に広がり、ISIS(イスラム国)へと行きついたことは間違いない。いわばISIS(イスラム国)はオバマ政権が作り出したものだと言っても過言ではない。

オバマ政権にはファスト・アンド・フュリアス事件という前科がある。銃による事件を増やして銃規制の気運を高めようとし、わざとメキシコ国境付近の銃砲店経由で不法移民やギャングに武器を売り渡し、その武器で国境警備隊員が犠牲になったという事件である。これだけでも本来ならば政権崩壊の大スキャンダルであるが、このベンガジ事件はその規模や国際社会へのインパクトを考えれば遥かに重大である。

2016年、ヒラリー・クリントンの大統領選挙出馬が取り沙汰されている。スティーブンス大使他、事件で犠牲になったアメリカ人の血でその手が染まったクリントンが、国のリーダーになる可能性があるということである。オバマ大統領によってアメリカはいまだかつてなく変質しつつある。クリントンが大統領になれば、アメリカはもはや取り返しのつかない変貌を遂げることになろう。

追記:
本書には述べられていないが、著者のAaron Kleinは自身のラジオ番組で「襲撃者の本当の動機は何だったのだろうか。イランがアメリカの反アサド勢力への武器供給を止めようとしたのか、それともリビアのイスラム武装勢力がアメリカによるMANPADS回収を阻止しようとしたのか?」という私の質問に答えて言った。「現時点でははっきりとどちらとは言えない。今後も追求し続けなければならない。だが、私は反アサド勢力への武器供給を止めようとしたイラン及びイランとシリアの後ろ盾となっているロシアが手を引いたのではないかと疑っている」

「なぜ映画に対する抗議デモだなどと事実でないことを言ったのか」という追求にキレるヒラリー・クリントン国務長官(当時)

「男の子の育て方」読了

  • 2015.02.24 Tuesday
  • 01:52



本書は子育ての本であるが、「男の子の育て方」に焦点を当てたものである。著者のMeg Meekerは小児科医であり、子育てについての講演を全米で行っている。原題は"Boys Should Be Boys"。

子育て受難の時代である。経済も社会も国際情勢も、ますます混沌として正しさが見えにくくなっている。親は子供に何を託せばよいのか。どうすれば時代の荒波を乗り越えられる強い子に育てられるのか。我々は皆不安を持っている。そんな我々に勇気を与えてくれる良き一冊である。

子供は親を必要としている。当たり前のようだが、本書で繰り返し強調されている。一番重要なのは親との関係であり、次に神との関係であり、次に兄弟姉妹、そして友人との関係である。

多くの家庭内での問題は、親と子が過ごす時間が少な過ぎることが原因である。子供が親と一緒に時間を過ごすことを望んでいるのに対し、多くの親はその必要性を感じていない。意識にギャップがある。

男の子が必要なのはモノではない。必要なのは両親が子供と過ごす時間である。モノではなく、時間を与えることを最優先すべきである。時間の次に子供にとって必要なのは自分への関心、愛情、そして「よし、よくやった、いい子だ、えらい」という是認である。

音楽、テレビ、ゲーム等娯楽の危険性に注意しなければならない。スマートフォンやパソコンなどに没頭させてはならない。ポルノ、暴力的なテレビ番組、映画、ゲームからは可能な限り遠ざけ、遮断すること。暴力的な映像に接することと暴力的な性格には相関性があることが全米小児科学会の研究で明らかになっている。子供の柔軟な脳に暴力がインプットされれば、「暴力をふるうのが本当の男である」と信じるようになる。

ポップカルチャーが描写する「人間関係」は強烈であるが短いものである。一方、山あり谷ありの人生に必要なのは息の長い人間関係を形成する能力である。有害な大衆芸能は僅かに触れるだけでも危険であるが、触れる頻度が高ければ高いほど後に反社会性となって表れるリスクを増す。これは全く侵すに値しないリスクである。親は注意してし過ぎることは無い。 鷹のように鋭い目で監視しなければならない。

「反抗期がやってくる」とよく言われるが、これは決して自然なことではない。どのような年齢であろうとも、子供が親に対して反抗的で悪意のある態度をとるのは健康的な現象ではない。また、「思春期」というと避けられない成長期の一段階のように考えるのが一般的である。だが「子供が扱いにくくなる時期」なる思春期は近年の社会状況(ポストモダニズム)によって発生したものに過ぎない。子供に影響を与えるのはポップカルチャー(大衆文化)であり、これらは敵であると認識しなければならない。「モノ分かりの良いパパ」になるなかれ。いったん子が道を外したら、後戻りは大変である。子は父親に求めるのは「おちゃらけパパ」ではなく、威厳と正しさである。「僕を信頼してないの?」そんな知恵のついた子供の決まり文句にほだされてはならない。問題を起こすのは躾が厳しすぎた子供ではなく、ほったらかされた子供である。

男の子が親から学ぶべきは正直、勇気、謙虚さ、優しさ、親切さである。これから正直さを学ぶべき子供の前で「良心的な嘘」は禁物である。「良心的な嘘」は少年の心に混乱をもたらし、正直さの基準を失う。まずは基本である。基本は事実を述べることである。嘘をつくこと慣れた子供は年齢が上がるにつれて更に大きな嘘をつくようになる。

徳に基づいて行動するのは勇気が必要である。子供の勇気を鼓舞することができるのは親だけである。誰にでも優しさをもって接するように教えるべきである。自分を過度に重要視しない(思い上がらない)ことを教えることが大切である。優しさとは感情をコントロールすることである。カッとなった時こそ自分をコントロールできるか否かが問われる。感情のコントロールは幼少の時からトレーニングしなければならない。多くの子供はこのトレーニングを受けずに育つ。子供が感情に任せて行動したとき、親は壁となって立ちはだからなければならない。小さなときから自己コントロールを身に着けさせることが大きくなってからの問題を回避することにつながる。「やさしさ」も幼少のころからのトレーニングである。常に他人のことを良く表現するように言い聞かせ続けることである。

言葉と行動は対である。良い言葉を使っていれば自然と良い行動がついてくるものである。他人を悪しざまに罵る代わりに良い点を褒めるように教えることで幸福がやってくる。それは「感じたことを全て口にしない」自己コントロールでもあるからである。当然、親が子供に接する時の言葉も大事である。親が子に対して「バカ、コラ、オイ」に類する言葉を使っておれば、子はそれらを覚えて、そして使うようになる。使う言葉によって人格が形成される。まずは親自身が感情のコントロールを身につけ、子供の前で喋る言葉にはくれぐれも注意しなければならない。

男の子は外で遊び、運動し、エネルギーを発散させることが必要不可欠である。パソコンやスマートフォンにどっぷり埋没させないことである。ソーシャルメディアを使う前に、人と人との感情的なつながりを得ることが先である。

親は子にモノを与え続けることで、「与えることの喜び」よりも「貰うことの嬉しさ」を知らず知らずに教えてしまいがちである。「貰うことの嬉しさ」は儚いものである。そしてそれは際限のない物欲へとつながる。世の中は自分だけではない。他人を助ける活動をすることで子供は「与えることの喜び」を知り、それは子供の人格形成につながる。

子供は、生き方、考え方、行動の仕方を親から学ぶ。特に男の子にとって、大人の男(父親もしくはその代わりとなるような男性)が生き方の基準を示すことの重要性は強調しすぎることはない。父親がこの基準を子に示さなければ、子はテレビやネットから都合のよい基準や規範を適当に選んで身につけるものである。

かといえ、過度に構える必要はない。必要なのは「子供と一緒に時間を過ごすこと」である。忙しければ、「子供と一緒の部屋にいる」だけでもよい。多くの親は「デキル親」としてのあるべき姿を想像し、現実と理想との乖離の前に自信を失い、「もう息子は自分らとは時間を共有する必要はないのだ」と考えてしまいがちであるが、これは最も避けるべきことである。10代の男の子は親と時間を過ごしたい一方で、それを親に知られたくはないという二面性を持っており、それが態度に出ることがある。そんな場合であっても親は息子とできる限りの時間を過ごすという決心が必要である。その時間がたとえ議論であろうが笑いであろうが沈黙であろうが、である。テレビによって大切な家族の時間を無駄にしないことである。テレビを見ながら家族の間でどれほど中身のある会話ができるだろうか。親が子供と過ごせる時間は限られている。

忍耐力は人生の困難に立ち向かう上で必要不可欠な要素である。子供は友人やクラスメートから忍耐を学ぶことは無い。忍耐を教えられるのは親である。小さなことから忍耐を教えていくべきである。うまくいかないからと、すぐに止めさせないこと。一つのことを始めたら、少なくとも2〜4週間は続けさせたい。

宗教の大切さ、神を教える大切さを認識すべきである。人知を超える偉大な存在があることを早くから教えることが重要である。神への信仰は子が非行に走ることを防止する。宗教を煙ったがり、避けようとする親は多い。「宗教なんて迷信だ」と吐き捨てる親も多い。しかし子供らしい純朴な信仰心を打ち砕くことで、子供は大切なものを失う。信仰心は指針であり、指針なくして判断は不可能である。指針を失った子供は大人になってカルトにはまる。もしも親自身に信仰心が無いのであれば、まずはそこを何とかしなければならない。※ブログ主「俺は宗教などとは無関係だが、カルトにもはまっていないぜ」といいながら「地球温暖化教」というカルト宗教を熱心に信仰している人間は実に多い。

非行に走るのは友人からの影響が真の原因ではない。原因は親が求める期待の低さにある。 多くの親は子供が一日に何時間もテレビやインターネットや音楽からの悪影響を受け続けるのを容認している。

性的経験の低年齢化は自然なものではなく、テレビや映画や音楽等のメディアの影響である。テレビで性的な内容を扱う番組は、1998年で56%、2005年で77%、と年々増える傾向にある。医学的に見て暴力と性体験のリスクはほぼ同じである。男の子であっても女の子であっても、である。暴力的な、あるいは低年齢で性体験を持つ子供は、そうでない子供と比べて鬱病を発症する可能性が高いことが研究で明らかになっている。性病だけが性体験のリスクではないということである。

母親は他の母親達に影響されやすく、自分を他の親と比べることによるプレッシャーを受けやすい。それによって子育ての仕方が変質してしまうことがある。親同士のプレシャーは実は子供同士のそれよりも強いことを認識すべきである。特に思春期の子供の親は他人のプレッシャーに弱い。親の大敵は親のエゴである。親は子供のスケジュールに勉強やスポーツや習い事等をあれこれ詰め込もうとする傾向がある。子供のスケジュールはなるべく少なくシンプルにするべきである。本当に子供が楽しんでいるか、と自問すべきである。そして「第一優先として、プロスポーツ選手(あるいはプロ演奏家)に育てたいのか、それとも人格者に育てたいのか」を問うべきである。子供が望んでいるのは「親であるあなたと過ごすこと」である。

子供は必要なのは親との時間、そして一人で過ごす「退屈な時間」である。 「退屈な時間」は大切である。 これによって子供は想像力を膨らませ、創造性を発揮し、すべきことを自ら見つけるのである。 テレビもゲームもスポーツ大会も習い事も何もない。 そんな無い無い尽くしの環境にこそ家族でゆっくり過ごす時間があるのであり、親にとっても子にとってもストレスの少ない生活がある。

母親は男の子に対して暖かさ、安心感、やさしさ、忍耐を与える。それらと引き換えに、男の子は母親には全幅の信頼を寄せる。この信頼感が生みだす絆ゆえに、子供はとにかく自分は愛されているという自信を得ることができる。母親が息子に与える愛情によって息子は人に親切に接することが出来るようになり、後に出会うであろう女性と分かち合う愛の素地を得る。母親への安心感の裏返しとして、往々にして男の子は母親の前で感情を露わにすることがある。いわゆる思春期には母親の前で理由も無く挑戦的な態度を取ることがある。それは「それでも母親は自分を愛してくれている」ことを確認したいだけである。

一方で父親との絆は母親とはかなり違う性質のものである。男の子にとって母親の愛は絶対であるが、父親からはそれらを「獲得しなければならない」と感じる。父親と母親は同じものを子に与える場合でも子は違う受け取り方をする。子供にとって、父親は「何が正しいか」の答えであり、守護神であり、希望であり、偉大な存在である。子は父親を見ることで、無意識のうちに人格を形成していく。ゆえに良い方向に作用するだけでなく、父親の行いが悪ければ悪い方向に作用することもある。父親から息子が得るべき3つのものは、―吠 ↓愛情、自己管理。子供は毎日父親の立居振舞や態度を観察して過ごす。反社会的行動をとる人間は往々にして子供時代に父親が不在であった者が多い。愛情を与えるのは簡単である。子供のために時間を(金ではなく)使ってあげればよいだけである。

父親にとって一番大切なのはたとえ何があろうとも、「もうどうにでもなってしまえ」と諦めないことである。ときにはガツンとやることも重要である。息子は父親の強大な力にぶつかることによって感情と行動を分け隔てることを学ぶ。逆にぶつかる父親がいないと不安を抱え、無軌道な行動に走る。戦後リベラルな思想が蔓延するなか、悪い行いが「子供だから」と許されるようになった。これは人格を形成するうえで非常に悪いことである。

男の子は父親を見て、あらゆることを真似しようとする。父親がやってほしいと思うことを何でもやろうとする。父親から「よし」と思われたいと願う。父親を慕う子供に対して避けるべきなのは、冗談半分にでもバカにすることである。バカにするのは基準と手本を示すことと同じではない。他の子供と比べて批判するのも有害である。自尊心とやる気を挫く。「それでも男か!」のセリフは要注意である。男の子は「男の子」であって「男」ではない。男になる途上である。男の子は女の子よりも傷つきやすい心を持っている。批判をすることと厳しさとは表裏一体であるがその違いに要注意である。おだてでもなく、プレッシャーでもなく、非難でもなく、「支えになってあげること」が重要である。

子供の脳は柔軟である。この時期にこそ、自分の行動に対して責任を取ることを小さなことからたゆみなく教えるべきである。男の子は本能的に規律を求め、ルールを決めることを好む。その本能を生かさなければならない。「楽しい生き方」よりも大切なのは「良き生き方」である。自立した大人にしてあげることが子育ての最終目的である。



calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>

time

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM