内部留保への課税 - 国税庁大活躍社会へ

  • 2015.11.29 Sunday
  • 00:55

政府はカネの無心に余念が無い。
 

菅義偉官房長官は20日、閣議後の会見で、企業の内部留保への課税について「そこまでの対応を行う必要があるか、対応を行わないと経済界のマインドが変わらないか、そうした政策的な議論を深めていただくことがまず先決だ」と述べた。 【東京 20日 ロイター】


この内閣には経済を知る人間がいない。経済を知らないから「企業の内部留保への課税を検討」などということが言えるのであろう。「経済界のマインド」とは笑止千万である。そんな言葉を振りかざす前に経済のド基礎を学ぶべしである。

企業とは人の集団である。企業の内部留保とは企業を構成する人々の集団的財産である。必要な時、困った時、何かの時に使えるようにとってある金である。政府はそれを収奪してよいものと考えている。

「カネがあるところから取れ」「取りたいときに取れ」「出さないなら出させろ」

これを盗人精神という。

「そこまですべきかどうかを検討する」などと暴力団組織さながらに公言するだけで”経済界のマインド”はどうなるか。

企業からしてみれば、

「いつでも出せるように用意しとけやコラ」

と言われているようなものであるが、安倍政権には言われる側の気持ちを想像するだけの”マインド”も無いのであろう。

笑止千万といえば「携帯電話料金引き下げ」しかりである。政府が携帯電話の料金を高いか安いかを判断して値下げを強制するなどまさに共産主義の世界である。

”経済界のマインド”をヒヤヒヤさせる政策を連発する一方で富を収奪することにかけては共産党も顔負けである。政府は所得隠しに対する罰則も強化している。

 

政府・与党は26日、所得隠しなどの不正行為を意図的に繰り返す悪質な納税者・企業を対象に、本来の所得税や法人税などの税額に上乗せして課す「加算税」を10%引き上げる方針を固めた。【時事通信 11月27日】


税金というものは全く取らなければ税収無しだが、ある程度を超えて税率を上げると逆に税収は減る。そして取ろうとすればするほどに富の創出を減少させる。更に取ろうとすれば企業や資産家は国外に流出する。

政府は税金逃れをしようとする者を「悪質」と呼んでいるが、最も悪質なのは政府自身である。過去の自民党、そして民主党政権から引き継いだ持続不可能な大きな政府政策をそのまま維持し、更に拡大しているのが現政権である。

大きな政府政策によって膨らむ財政赤字という時限爆弾。この時限爆弾を維持するための財源確保のためにありとあらゆる手を講じようとしているわけである。

安倍政権は「一億総活躍社会」のスローガンを掲げている。しかし実際に推進しているのは「政府大活躍社会」であり、「国税庁大活躍社会」である。

繁栄の税制 フェア・タックス

  • 2015.04.24 Friday
  • 23:42
 
  • 公平で差別のない税制。
  • 低所得者をいじめない税制。
  • 所得隠しや誤魔化しによる脱税の発生しない税制。
  • 貯蓄を奨励する税制。
  • 投資(雇用と富の創出)を促進する税制。
  • 企業活動を阻害しない税制。
  • 外国人(在日朝鮮人・韓国人を含め)や犯罪組織をも課税対象とする税制。
  • 相続や慈善寄付を邪魔しない税制。
  • 低コストで透明性の高い運用ができる税制。
  • 腐敗の発生しにくい税制。

そんな税制があるのか。フェア・タックスがそれである。

フェア・タックスとはアメリカにおいて10年ほど前から考案され、草の根運動で認知されつつある税制である。

仕組み
フェア・タックスは一律の税率を最終消費者が負担する税である。課税対象は「消費」である。現在の課税は主に所得や勤労や貯蓄や投資に対するものである。これらは富をもたらす行為であり、我々はこれらに課税することで、繁栄を自ら潰しているのである。フェア・タックスは、課税対象を「経済のインプット」から「経済のアウトプット」へと大胆に移行する革命である。

フェア・タックスは消費に課税する税制とはいえど、日本にある「消費税」ではない。日本にあるのはヨーロッパ発祥のVAT(付加価値税)であり、最終消費者に行き着くまでの各段階において課税の発生する税体系である。フェア・タックスは売上税であり、小売業者が消費者にモノやサービスを販売したときに発生する税金である。

フェア・タックス制度において、売上税以外の課税は全て撤廃される。所得税、法人税、贈与税、相続税、環境税、付加価値税、キャピタルゲイン税、そして社会保険料といった税は全て撤廃される。その代わり、それらが消費者負担の売上税に置き換わるということである。現在のアメリカの政府支出を支えるフェア・タックスの税率は23%と見積もられている。例えば、100ドルの商品を買ったらそのうちの税金は23ドルである。所得税や社会保険料はゼロであるから、給料からの天引きは0円となり、「額面」はそのまま「手取り」となる。例えば額面が2000ドル、手取りが1447ドルだった人は、フェア・タックスに移行後は2000ドルが手取りとなり、加えてPayroll Taxという企業が負担する給与税(7.65%)も無くなるため、その分を還元して更に給料アップである(下図)。

物価はどうなるのか
売上税が23%ということは、フェア・タックス制度に移行したら現在の物価から23%も上がるのか、と言えばそうではない。モノの価格には既に各種の税金が見えない形で組み込まれている。法人税やら社会保険料やら環境税やらそれらを処理する人件費やらが入っている。それら全てを売上税で置き換えるということである。そうすると、アメリカの場合には23%になると試算されている。そのため、理論上は値段は上がらず「そのまま」である(下図)。

だが、実際には多くの場合、価格は下がると見込まれている。なぜならば、税務上の処理が無くなり、その分のコスト削減が可能となった企業はそれを価格に反映させることが出来る。その上、個人の可処分所得は大幅に増えるため、その消費意欲を狙う企業同士による競争原理が働くからである。

政府支出はどうなるのか
フェア・タックスは「政府支出を減らす魔法の杖」ではない。現在の巨額の政府支出は、そこにメスを入れなければそのままである。だが、フェア・タックスによって可能になるのが政府支出の「見える化」である。課税対象が消費に一本化されるため、政府が密かに新たな課税対象を見つけたり、税率を上げたりすることを不可能にする。増える支出を支えるために税率を30%から40%に上げなければならないとしたら、それはダイレクトに消費者の生活に響く。政治家は、消費者に対して増税の必要性を納得させなければならない。逆に、生活コストを下げたいと願う消費者は政府支出を減らすよう政治家に圧力をかければよいのである。

逆に高税率を唯々諾々と受け入れる国民であるなら、自業自得というものである。

公平さ・低所得者を救う税制
フェア・タックスはなぜ公平なのか。それは差別をしないからである。金持ちも貧乏人も同じ税率を負担する(アメリカのフェア・タックス法案では30%)。そして“日本国籍を持った”金持ちと貧乏人は同じ額のPrebate(生活物資購入のための前受資金)を月初めに受け取る。貧乏人はPrebateで最低限の衣食住を満たすことが出来る。場合によっては払った税金とPrebateの額が同じになり、差し引きゼロとなる。Prebateの対象は日本人全員であるから(外国人や非合法滞在者は対象外)、政府として誰がどのくらいの所得をどのように得ているかを把握する必要はない。送金対象を選別する必要も無い。

当初、私はPrebateを「一種の富の再分配」だと感じ、ひっかかりを覚えた。配るなら最初から取らなければよいではないか、と。だが考察を重ねるうちに一つの正当で有効な手段であると受け入れるに至った。

所得税のシステムでは、所得の低い人間は税金を納めずに生活保護という形で他人の払った税金を受け取る。金があるポケットから別のポケットに移動するわけである(富の再配分)。

だがフェア・タックスでは全ての人が税金を払いPrebateを含めたシステムの維持に貢献するわけである。Prebateは収入の低い高いに関わらずに国民であれば誰もが同じ額を受け取ることができる。高所得者にとってはどうでもよい「おまけ」のような感覚であろうが、消費に課税する制度で最も「痛み」を受ける低所得者にとっては「救い」となる。

誰がいくら受け取るべきかを収入によって査定する必要が無いので不正受取の可能性は極めて低い。生活保護や失業手当に代わるものとなろう。

公正さ・透明さ
現在企業は本来の事業のみならず、節税をするために巨費を投じてロビー活動を行っている。製薬大手のイーライ・リリー社は2億ドルを浮かすために852万ドルをロビー活動費として使っている。売上税に一本化することで、企業と政治家との癒着の根源が断たれる。そして、ロビー活動をする余力のある巨大企業と、体制に翻弄されるしかない中小零細企業との間の不公平が解消されるのである。

現在の所得をベースにした税制は収奪である。本来富を創出するはずの人々を投資から遠ざけ、国外に追い出し、日々勤労に励む人々を罰する愚かな税制である。二重、三重、四重の課税で取れるところから取れるだけ取ってしまえと言わんばかりである。企業活動は富の源泉である。企業とは人であり、企業に対する課税は人に対する課税も同然である。既にそこで働く人は課税されているのだから、企業に課税する法人税は二重課税である。しかも世界有数の高率によって、企業の海外移転と海外投資家の日本見送りをせっせと促進する国賊のような税制である。フェア・タックスにおいてはこの法人税や、環境主義者が共産主義を推進するために導入した環境税も廃止される。

所得課税中心の現行制度と比べ、フェア・タックス制度では税収が増える。その理由の一つはフェア・タックスに移行することで課税対象が大きくなるからである。フェア・タックスは外国人や地下経済にも「公平に」課税する。彼らが消費する際に税金を払わざるを得ないからである。今まで税金を払ってこなかった低所得者、在日朝鮮人、外国人旅行者(特に最近は爆買い中国人)、暴力団といった連中も日本で消費するときに税金を払い、政府の支出を支えることになる。これによって全体的な税収は増えつつ日本国民一人当たりの税負担は減少するのである。

貯蓄の推奨
一般的に、ある活動に課税するとその活動は抑制される。フェア・タックスにおいては課税対象は消費であるから、消費が抑制されることになる。消費が抑制されればカネが向かうのは貯蓄である。

貯蓄があるから投資がある。人々が消費を抑えて貯蓄をすると、「金回りが悪くなって不景気になる」というモノ知らずがいるが、実際は人が銀行に貯蓄した金は貸付け(投資)に回るのである。金が貯まれば貯まるほど、貸付コスト(金利)は下がり、投資が活発化するのである。投資が活発化すれば雇用が増大し、雇用が増大すれば人々の所得が増えて景気が良くなるのである。フェア・タックスは消費を遅らせる行為(貯蓄)に報いる税制である。

徴税方法
フェア・タックスにおいて、税金の徴税を代行するのは小売業者である。政府は小売業者に対して質問する。「今月の売り上げは幾らでしたか?」 小売業者は答える。「5,320,143円でした。これがレジの記録です」 政府はそれに対し「では税金は(税率が23%として)1,223,633円ですね、それを送金してください」 やり取りはこれだけである。故に税務上の知識経験やら細かい計算やら処理作業やらが必要無いのである。

では小売業者が売上額をちょろまかしたら?確かに理論上あり得る。だが実際のところ、小売業者が売上額を誤魔化すというのはそれなりのリスクを伴う。政府はランダムに監査に入り、嘘がバレれば市中(ネット & メディア?)引き回しの上営業許可取り消しである。ブランドや市場の地位を確立した小売業ほどそのような不毛なリスクは冒さないものである。また、泡沫業者が多少誤魔化し、全体の10%にあたる不払いがあったとしても、税制の簡略化、低コスト化及び課税ベースの拡大により、現在の税収を上回ると見込まれている。

23%の売上税のうち、0.75%は小売業者に、0.25%は州政府に入る。これは徴税代行と徴税施行に対する手間賃である。

富を取り返す
フェア・タックス法案の作成者は巨額の私財を投じて研究を行った。その調査の一環として日本と欧州の500もの企業に対する聞き取りを行った。「もし、アメリカでフェア・タックスが実施されたら御社としてどう動くか?」 500社のうち、400社は次の工場や事業所の設立をアメリカで行うと答え、残り100社は本社機能をアメリカに移すと回答している。現在日本と同様、アメリカ企業の海外移転が進行しているが、海外にあるアメリカ企業の資産は11〜15兆ドルと言われている。アメリカでフェア・タックスが実施されれば、外国企業の前にアメリカの企業がこぞってアメリカに戻ってくるわけである。もしこれが日本で実施されれば、当然ながらアジア各国に移転した日本の工場や事業所が日本に戻ってくる、これらが戻ってくれば雇用も戻ってくる、というわけである。

フラット・タックスとの違い
フラット・タックスとの違いは課税対象である。フラット・タックスでは一律の課税率が「所得」にかかる。所得にかかるということは、企業における給料天引きや自営業者の確定申告の作業はそのままであり(簡略化されるが)、国税庁もそのまま残ることになる。重要なのは、かつて多くの国において税制は低税率のフラット・タックスから始まったということである。それが時代を経るにつれて様々な政治的駆け引きの中で複雑化してきたのが現在の状態である。アメリカの憲法制定者達はそのことを知っていたがために、「所得に課税してはならない」という条項を憲法に謳ったのである。しかしその後のプログレッシブ運動の社会主義的風潮のなかで改正16条が可決され、所得税が導入された。そして現在、アメリカの連邦税法は6万7千ページにも及ぶ。フェア・タックス法案は僅か133ページである。

実現に向けて
フェア・タックスは実施したもの勝ちである。全国一律売上税を実施した国は無い。とはいえ実績が無いわけではない。アメリカでは週単位で売上税は長らく存在する。それを全国に適応し、他の課税を廃止すればよいだけである。だが 考案された本家アメリカでも政治家は二の足を踏んでいる。その理由はまさに現行の所得税制度と直結するものである。フェア・タックスが実施されれば彼ら政治家が持っていた民間に対する権力を失うからである。そして現行制度でたんまり節税して儲けていた一部の巨大企業の支持を失うからである。フェア・タックスが実現するか否かは我々民間人にかかっている。我々がこの税制を理解し、政治家を動かさなければならない。


図解 フェア・タックス
Fair Tax Explained - a 2 minute introductionより



フェア・タックスで収入はどうなるか


フェア・タックスで物価はどうなるか


フェア・タックスで生活はどうなるか(大人二人、子供二人の家庭の場合)
Prebate Scheduleを参照


追記:
フェア・タックスは連邦税(日本では国税)であり、地方税は含まない = 地方税は別途かかる。

参考
FairTax: The Truth: Answering the Critics
By Neal Boortz, John Linder, Rob Woodall

The FairTax Solution: Financial Justice for All Americans
by Ken Hoagland 

The Fair Tax: A Quick Guide [Kindle Edition] 
Dr. Milton J. Cormier, Mark Cormier

Fair Tax Calculator
http://www.fairtaxcalculator.org/

FairTax.org
https://fairtax.org/about/how-fairtax-works

"The Case for the Fair Tax"


The Case for a National Sales Tax
Heritage Foundation

ふるさと納税… 地域再生をもたらすのは何か

  • 2014.11.10 Monday
  • 23:29
 

ふるさと納税という総務省の管轄する税制、というか、寄付制度がある。 個人が2,000円を超える寄附を行ったときに、住民税のおよそ1割程度が所得税と住民税から控除される制度らしい。

 

この制度は地域再生を目的に第一次安倍内閣によって導入された。 簡単に言うと、都市部に住む人々を特産品と税控除で釣ることで地方が収入を増やし、それで地方を活性化させようとする“狙い“である。 

 

http://www.furusato-tax.jp/about.html より

  • 特産品がもらえる! 知っていますか?「ふるさと納税」をすると特産品や工芸品等、各地域のお礼の品がもらえるんです。
  • 生まれ故郷でなくてOK! ふるさと納税の寄附をする先は、生まれ故郷でなくていいんです。
  • 税金が控除される! 例えば4万円納税しても、3万8千円の税金控除されることも!
  • 使い道を指定できる! 税金の使い道はあなたが決める。日本で唯一の税金の使い道指定ができる制度です。
  • 複数の自治体から選べる! 複数の自治体「ふるさと」に寄附を通じて支援できます。

 

茨城から東京に出てきた人が北海道にふるさと納税することができる。 茨城には大した特産品がないが、北海道には海産物があると。 するとこの人は自分の故郷である茨城には納税せずに北海道に納税し、その見返りに北海道から海産物をもらって東京の住民税が控除されるわけである。

 

政策立案者というのは、よくメディアでは「有識者で構成される」と報道されるが、揃いも揃ってバカなのではないであろうか。

 

まず税金とは何なのかが分かっていない。 税金というのは特産物の見返りに払うものではない。 税金とは、自分が住む社会を維持し、公共サービスを得るための対価である。 公共サービスとは読んで字のごとく公共のものであり、全ての人々にとって無くてはならないものである。 国家レベルで言えば司法であり、警察であり、軍隊であり、地域レベルでは、それぞれの地域なりに必要なサービスがあろう。 

 

伊勢海老やら毛ガニやら、リンゴやらみかんやら、すき焼き用特選飛騨牛やらしゃぶしゃぶ用近江牛が公共サービスか? これらは公共サービスではない。 これらは嗜好品である。 嗜好品とは読んで字のごとく、嗜好性のある商品であり、お金をかけても買いたいという人もいれば、そんなモノにはびた一文使いたくないという人もいる。 買いたい人は買えばよいし、買いたくない人は買わなければよい。 そういうものである。 それを、「ふるさと納税」などと銘打って国家プロジェクト化するなど、愚の骨頂である。

 

東京に住む者が北海道に納税し、東京の住民税が控除される。 これは形を変えたばら撒きであり、富の移動である。 東京の市民サービスに貢献して東京の税金が控除されるのは分かる。 だが東京の住民が北海道に金を送って、その見返りに東京の税金が控除されるのではまるで理屈に合わない。 都市部への人口流入が増加していることを考えれば、都市部から地方に向かって金が流れる仕組みであるのは明白である。

 

ところで、納税よりも支出が多くなってしまう自治体が多いという。 当たり前である。 自治体職員が受注して発注して納品手配し... 公務員が民間業者の真似事をやって低コストでオペレーション出来るわけがない。 嗜好品とはいえ、普通に考えればとるに足らない商品で万単位の納税を釣り、自治体の職員が発注納品作業をせっせとやり、納税者の自治体がその見返りに住民税控除をやり、そのためにまた職員がセッセと働きそれで地方が蘇ると考えるとは。 この仕組みで収支が合い、税収が増え、地域振興が実現する、と信じる政府の素晴らしきビジネスセンスには脱帽である。

 

地域を再生させるのは「ふるさと納税」のようなオママゴトではないし、金のバラマキでもない。 強い私有財産保護が人々と企業の流入を促し、彼らが作り出す経済が更に投資を呼び、それがいつしか強い経済となって繁栄をもたらすのである。 強い私有財産保護とは、簡単に言えば安い税金であり、少ない規制である。 特産物があろうがなかろうが関係無い。 一見なんの取り柄も無さそうなド田舎であろうが、土地が安くて労働力が安くて税金も安ければ、企業家はそこにチャンスを見出す。 それを見た他の地方都市が更に魅力ある条件を実現する。 その競争こそが、地域の再生をもたらすのである。

 

 

追記:しかし、「ふるさと納税」が国家プロジェクトとは、情けなさが身に沁みるというものである。 世界第二位の防衛力を実現し、憎きロシアから北方領土を奪い返し、おまけに北樺太も分捕る、くらいの骨太なプロジェクトを推進したいものである。

国家財政のあるべき姿

  • 2014.10.26 Sunday
  • 00:52


財務については素人であるが、国家財政のあるべき姿を述べてみる。 なにせ財政のプロ中のプロであるはずの国家財政をつかさどっている人間達が、素人も真っ青な放蕩財政政策をとっているのであるから、財務素人の私が国家財政のあるべき姿を開陳しようが一向に問題無いはずである。

 

現在、日本全体の債務残高は1,010兆円である。

 

http://www.fp-nakayama.jp/category/1206106.html より

日本は毎年の国家予算約80兆円のうち、50兆円を税収、30兆円を借金でまかなっている。 そして予算80兆円のうち20兆円は借金の返済。 すなわち、20兆円借金返済するために新しく30兆円借金しているということになる。 しかも、借金返済20兆円のうち10兆円は利子の支払いで、元本は10兆円しか返済できない。 要するに、毎年10兆返済して30兆借り入れていることになる。  

 

この財政の行きつく先は破綻である。 破綻したらどうなるか。 通貨の価値が暴落し、海外からの物資輸入が不可能になると同時に国内ではハイパーインフレが起こる。 国民がそれまでせっせとためた貯金はパーである。 生活はどん底に突き落とされる。 社会の崩壊である。

 

これを防ぐためには財政を均衡させるしかない。 だが今までの延長上でチマチマやったところで焼け石に水である。 ここはアッと驚くような政策が必要である。 以下がその政策である。 細かいことは面倒なのでザクッといく。

 

現在の日本政府は財政破綻を回避させるためと称して消費税を上げている。 姑息かつ無意味な行動である。 世界のどこを見渡しても増税で財政均衡した例は一つもない。 財政を均衡させるのは支出の削減だけである。 よって以下のように支出を削減しなければならない。


 

 

現在86兆円の支出を20兆円の削減しなければならない。 この予算は一般会計であり、この86兆円を凌駕する特別会計というのがある。 一般と特別と合わせた支出の大半が社会保障費と国債費であるが、それらは廃止である。

 

社会保障を全廃して大丈夫か。 国土交通省、文部科学省、農林水産省を潰してしまって大丈夫か。 大丈夫か、ではない。 潰さねばならないのである。 未来の日本のために。 大丈夫である。 霞が関の役所がなくなれば、その後を民間企業が立派に穴埋めするものである。

 

問題は借金である。 借金をどう返済するか。

 

 

 

財政を均衡させるためには、いままでの延長線上の考え方ではダメである。 

 

税収は現在50兆円であるが、それを150兆円に増やす。 増税をするのではない。 大減税をすると同時に税制を簡略化し、世界中から投資を呼び込み、経済を活性化し、雇用を増大させることで税収を増やすのである。 また国防を強化することで今までに失われた経済利益を取り戻すのである。

 

税収150兆円のうち、上に示したように実質的な支出は20兆円、残りはいままでの放蕩借金の返済に充てる。 返済額130兆円のうち、利子が13兆円、元本返済額は117兆円である。 これを続けていけば、9年目にして借金は完済。

 

借金をきれいに返済し、財政を均衡させた後の日本は再び世界第二位の地位に返り咲き、経済・軍事ともに強国となり、力強く未来へ歩みだす。

 

やれば出来るのである。

金持ち、利益、そして我々庶民

  • 2014.07.28 Monday
  • 01:23
 

ふとしたきっかけで、ある方とツイッターでやりとりをすることになった。 どうやら私とは意見が180度異なるようである。 しかし、その方とは理性的で落ち着いたやりとりをすることができた。 意見の相違にも関わらず、その方は話を逸らしたり、罵詈雑言を発したり、あるいは難しい用語を振り回して威嚇したりすることもなく、平易な言葉で淡々と自説あるいは疑問を述べられたからである。 これは、珍しいことであり、新鮮な感覚を覚えたものである。

 

その方のプロフィールから、その方がブログをやっていることを知った。 ページに入ってみると、一つの記事が目に留まった。 

 

お金持ちにもほどがある 「この世界において金持ちはとことん金持ちである。 しかし同時に食うや食わずの人もいる。 この不公平を解消するため、個人が保有する資産や一定期間稼ぐ金額に上限を設けてはどうだろうか。 それによって、極端なお金持ちも極端な貧乏人も存在しない社会が実現するのではないか」 

 

大まかにはこのような趣旨である。 この記事の最後に、このアイデアを実現するために問題点があれば意見がもらいたいと書かれていたので意見を書くことにした。 書き始めたらいつの間にか結構な長さになっていた。 せっかくなので当ブログに掲載することにする。

 

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ここのところ、ツイッターで何度かやり取りをしています、@CBJapan1です。 貴ブログ記事を拝見したので意見を述べたいと思います。

 

「人の収入上限を決めてしまい、世の中をもっと公平にしよう」 これは大変興味深いお考えなのですが、いくつか重大な問題があります。我々の生活を豊かにしてきた進歩が止まり、急激な後退が始まります。そしてその後には悲劇がやってきます。

 

利益というものは、一般には「儲け主義、守銭奴、がめつい、ピンハネ、不当」みたいな悪い印象がまかり通っていますが、実は大変重要、かつ有用、かつ必要不可欠な役割を果たします。これが → http://bit.ly/1nEgpbf その役割です。利益があるから進歩があり、幸福がある。利益がなければ進歩はなく、後退と惨めさがあるのみ、と言っても過言ではありません。

 

金持ちがドデカい成功を収め、ドデカい富を得、絢爛豪華なるその世界を我々庶民に見せつけてくれればくれるほどに、「俺だっていつか!」と野心を燃えたぎらせる人間が沢山出てくる。しかし、いつの世でも成功者はごく一部です。ビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも何十万人もの野心家達の中のごく一部です。ゆえに、比率から言って「野心を燃えたぎらせる人間」が多ければ多いほどに成功者は多くなり、少なければ少ないほど、成功者は少なくなります。

 

成功の影には運あり才あり努力あり。成功の影には惨めな失敗がゴマンとあり。しかし彼ら挑戦者を突き動かすのはのは何かといえば、それは他人のドデカい成功とそれがもたらす豊かさ、名声、充足感に他ならないわけです。

 

成功者は何をもたらすか。我々庶民の生活に便利さと豊かさをもたらします。アイフォン一つで何でも出来る。それはわずか数十年前には考えられもしなかった便利さです。

 

ちょっと待て!それはきちんと努力をして、有用な商品やサービスを実現した人について言えることだろうが!最初から金持ちの家に生まれるだとか、生まれながらに容姿に恵まれてテレビに引っ張りだこだとか、何の努力もしていない奴が金持ちでいられるなんて不公平だろうが!

 

実は、そうでもないのです。ここにも書きましたが → http://bit.ly/1A61ydW 今我々が普通に使っているモノは、数十年前は一部の金持ちだけに手の届く「贅沢品」でした。今は誰でも持っている携帯電話もノートパソコンも、はたまた海外旅行も、昔は一部の金持ちだけが持つ、あるいは、することが出来た、「金持ちのおもちゃ」だったわけです。彼らが大枚をはたいて「金持ちのおもちゃ」を買い、試し、不要と判断されたものは廃れ、有用と判断されたものは改良が加えられ、それを見た小金持ちが背伸びしてそれを買い、そうこうするうちに購入量が増え(需要曲線が右にシフトし)、それを見た製造会社は生産キャパを増設して供給を増やし、そのうちに価格が下がりそして今、我々庶民が持てる道具となったと。

 

アイフォンという商品が一つあるお陰で、その原材料、資材、製造、保管、物流、販売、修理にいたる様々な分野で雇用が生まれます。これら様々な事業所に出前するベントー屋もヤクルトおばさんも儲かります。彼らが仕事の後で一杯やる居酒屋も儲かります。居酒屋に納品するビール会社も、ビール会社に納品するヒャクショーも、サカナを供給するサカナ屋も、サカナ屋に供給する漁師さんも、皆儲かります。

 

これは利益の上限が決められておらず、成功すれば成功するほどに青天井の儲け放題だからこそ実現していることであって、利益の上限を誰かが恣意的に決めることで何が起こるかといえば、「挑戦する動機の消滅」に他ならないわけです。上限が決められてしまっていれば、何もシャカリキになって挑戦することはないわけで、「まあ、俺の人生こんなもんだ、頑張ってもしゃあない、適当にやろうぜ」と(そういう生き方が悪いとは言っておらず、それもアリです)。

 

と同時に、現在の成功者がどういう行動に出るかというと、「守り」に走ります。いままでは儲けに儲けられた。既に自分は自分の努力・運・才覚の成果を摘み取った。しかしこれからは時代が違う。儲けたいほど儲けられる時代は終わった。今までは、儲けた金を投資して、更に金を増やすことを繰り返してきた。それは終わりにしなければいけない。今ある金をいかに守るかが大事だすると、新たに事業を起こしたいと思う人がいても、その人に投資しようとする人がいなくなります。新たな投資は減少し、雇用の伸びは止ります。

 

さらに、「この様子だと、下手をすると今まで儲けた金を過去に遡って徴収されかねないゾ」となり、金持ちの海外逃亡が始まります。これは架空の物語ではなく、実際に世界各地で起きている実話です。フランスではつい最近、大富豪がロシアに移住・帰化してニュースになりました。

 

金持ちが投資をするのをやめ、さらに逃亡すれば、イの一番にあおりを食うのは誰か。他でもない、ベントー屋さん、ヤクルトおばさん、そして居酒屋です。そして、その影響は徐々に徐々に広がり、会社員・サラリーマンとして何となくミドルクラスを意識している大多数の人々にも大波が押し寄せる。そのときにはもう手遅れです。我々の多くが困難に直面することになりますが、貧困者や弱者こそが最も手痛いダメージを被ります。

 

人の収入上限を決めよう。それは決して不可能ではありません。過去にそれは実践されました。ソ連をはじめとする共産圏の各国でそれが大々的に行われました。スラブ系、ラテン系、中央アジア系、中華系、朝鮮系、南アジア系、それぞれの土地柄・民族性でスタイルは異なりますが、一つ共通することがあります。それは「人の収入上限を決める」には非常に強大な中央集権体制を必要とし、権力の集権化と集権化された権力の行使において、生の暴力が使われてきたという事実です。

 

「人の収入上限を決め」る過程で多くの人命が失われました。 共産主義の犠牲者は1億人以上といわれています → http://bit.ly/1nEgITB

 

我々は、果たしてこの実験を繰り返す必要が、あるのでしょうか。そして、繰り返してよいのでしょうか。

ドイツ・最低賃金を導入 世界から減少する賢さ

  • 2014.07.20 Sunday
  • 23:46

ドイツがついに最低賃金制度を導入した。 意外であるが、ドイツには今まで最低賃金制度というものが無かったのである。

 

Breitbart Newsによれば;

 

ドイツの労働市場は他のEU諸国と比べてかなり柔軟であった。 ゲルハルト・シュレーダー前首相が2003年から推進したアゲンダ2010という政策により、企業が従業員を解雇するのが容易になり、それによって企業が従業員を新たに雇用するリスクを軽減した。 失業手当を1年に限定し、55歳以上の人々に関しては18か月とした。 それによって人々は「あれこれ選ばずにとにかく働く動機」を与えられた。

 

2004年〜2005年は不景気と高い失業率にドイツは苦しんだが、2007年までには経済成長は1.5%まで回復し、失業率は11.6%から8.5%へ減少。 リーマンショックでアメリカでは失業率が2007年の4.6%から2011年の9.0%まで上昇する一方で、ドイツでは7.1%へ減少。 その後も失業は減り続け、現在は5.1%。 特に、若年(15歳から24歳)の失業率は隣国フランスが23.1%もあるのに対し、ドイツでは7.9%。

 

また、2003年にアゲンダ2010が可決されたことで国際市場における競争力が増し、2003年から現在までに輸出額は5千億ドルから13千億ドルへと増加した。 その間フランスの輸出の伸びは25%で4500億ドルにとどまる。

 

最低賃金不在に代表される規制の少なさが労働市場に柔軟性を与え、それによって国内外の景気変動の波をうまく吸収してきた、というわけである。 生きていくためには働かなければならないという現実に直面した人々は、働く意欲とともに人間としての誇りを維持した。 社会保障をカットする、という政策を断行したのが、一般通念では左派ということになる社会民主党のシュレーダー首相であったというのが面白いところである。

 

日本では、なにかといえばドイツから学べという声がある。 何を学ぶかと言えばエコだの脱原発だの休暇の長さといった「?」な内容ばかりが取りざたされる。

 

しかし、今改めて考えると、実は最近まで日本が学ぶべきところはあったのである。 労働と、労働の価格である賃金を市場メカニズムに委ねることが、実は働く人々へ労働の喜びと収入の安定を与えることにつながるという事実である。

 

日本における過労自殺「そんなに大変なら死ぬまでややることはない。 辛かったら、辞めてもっと楽な仕事を探せばよい」 しかし、現実にはある年齢になれば会社を辞めたらなかなか仕事が見つからない。 正社員になるのが難しい。 だから、死ぬまでガンバってしまうのである。 よく「ブラック企業」などと言われるが、ブラックな企業というものはない。 企業というものは、与えられた条件の中でコストを最小化しつつ利益を最大化するように努力するものである。 企業がブラックなのではなく、労働市場が柔軟性と流動性の無い社会そのものがブラックなのである。

 

今、ドイツでは原発が停止され、最低賃金が導入され、愚かさの道を進んでいる。 世界から知恵が減少している。 と、思いきや、オーストラリアでは昨年9月に就任したトニー・アボット首相がつい先日、公約を果たす形で炭素税を撤廃した。 地球温暖化だか気象変動だか、呼び方は何でもよいが、地球の温度に何の影響もない二酸化炭素排出を規制してきたことを明確に間違いであるとし、正常なる方向へ歩みだした、歴史的な決定である。 愚かさもあれば賢さもある。 

 

願わくば、我が国は賢さを選択したいものである。

 

P.S. 先日安倍首相が訪問した先のオーストラリアにて、アボット首相は「我々は彼らと意見を異にしたものの」と前置きしたうえで、「我々は第二次世界大戦における日本軍の示したスキルと栄誉を賞賛する」と述べた。 アメリカ保守系ニュースサイトでは非難囂々である。 コメント欄にて私は”CBJapan”の名で孤軍奮闘し、全ての反対意見に対して真っ向から日本の大東亜戦争の正当性を主張し、アボット首相の発言を擁護した。 これについては改めて記事を投稿したい。

消費をやめて経済を浄化する

  • 2014.07.11 Friday
  • 17:03
消費しない若者たち

欲しがらない若者たち

酒を飲まない若者たち

車に興味の無い若者たち

 

若者が消費をしなくなった、という言葉を見聞きすることが多い。 「俺が若い頃は、苦しくても自動車を手に入れて、女の子をデートに誘ってドライブをしたもんだ」「それが最近の若いものは、車も買わんし酒も飲まんし、一体何がしたいのか、さっぱり分からん」「これからの時代をささえていく若者がこんなに元気が無いんじゃ、日本はつぶれるぞ」

 

若者が消費から遠ざかっているとすれば、それは当然のことである。 この御時勢にせっせと消費する者がいるならば、それは自暴自棄というものである。 将来が不安なのに消費をするならば、それはやけっぱちというものである。

 

常識に従えば、将来が不透明な時には消費を減らさなければならない。 米、納豆、人参、大根、肉…炭水化物と食物繊維と動物性タンパクを摂取する最低限度の消費、これによって徹底してデフレを進めることで経済を浄化しなければならない。 その過程で倒産する企業も沢山あろう。だがこれは浄化の過程であって仕方の無いことである。 誰の責任かといえば、政府と政府の経済政策を容認した国民の責任である。

 

膿を出し切るにはデフレしかない。 辛いデフレを耐えながら、その間に規制撤廃と財政健全化を進めなければならない。 財政健全化のためには公的社会福祉を撤廃するしかない。 そして公的社会福祉に代わる本来のセーフティーネットである「家族」を再興させなければならない。

 

人間は一人では孤独であり、不経済である。 一人では「作るの面倒くせえし、外に飯食いに行くか」となりがちだが、家族がいれば「カレー作ってみんなで食うか」となる。 余ったら冷蔵庫に入れてまた明日食べればよい。 1人よりも2人、2人よりも3人、家族は多ければ多いほど、家計は経済的であり、「財政的に健全」である。

 

若者が車に興味を無くし、外で酒を飲まなくなる。 これは良いとか悪いとかいうことではなく、極自然なことである。 大枚をはたいて車を買い、酒を飲んでわいわいやって、それで景気が良くて明るい未来が開けているならまだしも、酔いが醒めたら寒い現実と灰色の将来があるという状況においてはアホらしくてつきあってられん、という気にもなろう。 それでも酒が飲みたいとするならば、それはヤケ酒であり、危険である。

 

デフレ・スパイラルとはよく聞く言葉である。 人が消費をしなくなり(需要曲線が左にシフトし)、それに伴って価格が下がる。 価格が下がっても人は消費を増やさない。 需要減に直面した企業は製造や販売を減らし、従業員の給料は減る。 可処分所得が減った人々は更に消費を減らす。

 

なかなか惨めな状況であるが、スパイラルは無限ではない。 人は生きるために最小限度の消費をしなければならない。 生命を維持するのに基本的な栄養はとらねばならない。 清潔を保つためには石けんや歯磨き粉くらいは必要である。 仕事に行くのに靴くらいは必要である。 だからデフレ・スパイラルには必ず止まりがあるのである。 消費が消えることは無い。 減るだけである。

 

経済を開放すればデフレは短くて済む。 辛く、惨めで、短いデフレが去った後には力強い回復が待っている。 しかし過去20年間の日本のようにあの手この手で経済を操作し、膿を出し続ける元である支出に全く手をつけずにいるのでは、デフレは薬としての効果を発揮することはできない。 ただ単に辛い時期が無駄に長引くだけである。 そして、いつの日か、その辛さが当たり前となり、適応してしまうのである。

 

日本が回復するのは遠い未来となろう。 その前に、冒頭のような言葉を吐き、消費神話を信じる現在の中高年世代が息絶えるのを待たなければなるまい。

「地産地消」お役所の頭は18世紀

  • 2014.05.26 Monday
  • 00:29
 

「地産地消」というプロジェクトがあるそうな。 調べてみると2005年くらいからやっているようだが、その土地で取れた農作物をその土地で消費しよう、という政府が進めるプロジェクトであるらしい。

 

地産地消にはこんなメリットがあるそうである;

1.新鮮で安心な食材を買うことができる

2.生産者の顔が見え、安心

3.おいしい食べ方を教えてもらうなど生産者との交流ができる

4.本来の「旬」の味を知ることができる

 

お役所の頭は18世紀である。 これは非難しているわけでも馬鹿にしているわけでも蔑んでいるわけでもない。 事実を述べただけである。

 

新鮮で安心な食材を買うことができる:

現代の我々の食を豊かにしているのは冷蔵と輸送の技術である。 これらを可能にしたのは資本主義と化石燃料である。 世界各地で収穫された作物や捕獲された魚介類やとさつされた肉は瞬時に冷蔵・冷凍され、飛行機に乗せられ、わずか数時間後には日本に到着し、そこからわずか数時間後には我々の住む町のスーパーへと運ばれる。 物理的に近くなければ新鮮なものが食べられない、というのは18世紀の話である。

 

生産者の顔が見え、安心:

誰が作ろうが、誰が運ぼうが、そんな余計なことを気に掛けずにモノが買え、モノが食べられる、限りなく差別の少ない世の中を実現したのが資本主義である。 反面、限りなく差別的な世の中を実現したのは社会主義である。 国家社会主義のナチス・ドイツは「ユダヤ人が作ったものは買わない・買ってはならない」という社会であった。 「これはユダ公ではなく、ドイツ民族が作ったモノですから安心です」という社会であった。 そのような人種民族差別社会は「生産者の顔が見えること」が前提である。 売主がインド人なら、運搬人がアフリカ人なら、ならばどうなのか。 彼らの肌の色が白ければ、オリーブ色なら、黒ければどうなのか。 「売主の顔を見て買うかどうか決めましょう」という地産地消推奨者は、このような差別社会を展望しているのである。

 

おいしい食べ方を教えてもらうなど生産者との交流ができる:

バナナやパイナップルを食べたり美味しく加工するのにフィリピン人の助けがいるだろうか。 ウーロン茶を飲むのに中国四千年の奥儀が必要であろうか。 チョコレートをケーキやお菓子やデザートに応用するのにガーナ人の知識が要るであろうか。 目新しい食材なら、それを売りたい流通業者やお店は「こうすると美味しくいただけますよ」と店頭表示くらいするであろう。 この食材をこうすればもっと美味しい、くらいの情報はいまやネットでいくらでも拾うことが出来る。 趣味でせっせとレシピをこしらえては公開している人もいるくらいである。

 

本来の「旬」の味を知ることができる:

今ある食材が店に並んでいるならば、それはその食材の旬が今だからである。 食材はアメリカから、カナダから、ノルウェーから、オーストラリアから、ブラジルから、タイから、台湾から、フィリピンから、世界のいたるところからやってくる。 旬が今だから、その旬の味をお客さんに届けたい。 だから食材は飛行機に乗ってアッという間にやってくるのである。 それを可能にしているのが冷蔵技術と輸送技術と加工技術である。

 

「地産地消」などと大袈裟なスローガンが掲げられる以前から、地産地消は行われていたのである。 田舎であれば、「隣の○○さんが、いっぱいナスが採れたってェんで、こんなに分けてくれてヨ、今日の味噌汁に入れんべや」というような形で、地域で生産されたものが、生産者と消費者とが顔を見て交流しながら旬のうちに美味しく消費されるという、当たり前のことが行われてきたのである。 農林水産省の役人さんが関わらなくても、地域即売会みたいなものは普通に行われてきたのである。

 

地域で当たり前に行われてきたことを、わざわざ中央政府の政策プロジェクトにしようとする裏にはっきりと見て取れる一つの思想がある。 それは反資本主義の思想である。

 

冷蔵技術も輸送技術も加工技術も政府が作ったものではない。 それらは民間企業が開発し改良してきたものであり、資本主義経済が可能にしたものである。 これらの技術があるから、ある国のある地域のある農家のある作物の市場が全世界なのであり、その農家は自分の作物だけでなく、全世界の美味しいモノを食することができるのである。 地産地消推進者達はこの資本主義が許せない。 なぜならば、冷蔵をするのに「温室効果ガス」や「オゾン層破壊物質」を使い、モノを運ぶのに石油燃料を使うのでやはり「温室効果ガス」を発するからである。 地産地消だけしていれば、排出する二酸化炭素はたかが知れよう。 その代り消費者にとっての選択の幅は狭まり、コストは高いものとなる。

 

地球温暖化も、その前章であった「フロンガスによるオゾン層破壊」も、今や完全に論理破綻した嘘であることが白日の下に晒されている。 しかし官僚機構というものは、自らの存在を正当化する宗教的教義にしがみつき、富を生む民間の仕事を増やすのではなく、富を収奪する役所の仕事を作ることに余念がない。 農林水産省という役所は何億円だか何十億円だかという予算を得て、せっせと地産地消の推進に取り組んでいる。 吐き気を催すというのはこのことである。

デフレを知り、考える

  • 2014.05.12 Monday
  • 01:07
政府、日銀はデフレ脱却に自信を示し、メディアは「楽観は禁物」などと言いながらまんざらでもないようである。 彼らが脱却しようとしているデフレとは何なのか。 歴史的に恐れられてきたインフレを起こしてまで脱却しようとしているデフレとは、どれほど酷いものなのか。
 
デフレとは何かをネットで調べてみた。 このサイトによると、デフレとは「簡単に言えば物やサービスの値段が下がっていくこと」であるらしい。 そして、物やサービスの値段だけでなく、給料も下がるから「ものが安くなってラッキー!」とは言っていられないのだそうである。 デフレの原因は何かといえば、「不景気で世の中をお金が回る勢いが無くなり、物やサービスが売れなくなること」だそうである。 これは政府の発表や報道でいやというほど聞かされていることであるから、一般的な理解なのであろう。
 
しかし、世の中の「一般認識」ほど不確かなものはない。 
 
価格下落
価格が下落することがデフレなのであれば、デフレは問題でも何でもない。 考えてみれば、製品やサービスの供給が増えれば価格は下がるのである。 供給が増える背景にはいくつかの要因があろう。 例えば技術の向上(より効率よく採掘・運搬・加工できる等)、あるいは市場ニーズの変化(商品の人気が上がる等)があろう。 それによってあらゆるモノやサービスの価格は下がる。 その昔、自動車は大金持ちの贅沢品だったが今は… その昔パソコンや携帯電話は一般人の手にとどくものではなかったが今は… その昔海外旅行は一生に一度の贅沢だったが今は... あらゆる商品がかつては贅沢品であったが、供給が増えることで価格は下がり、一般庶民のモノとなる。 いわば、長いスパンでのデフレである。
 
 
供給が増えると(QE→QE2)、価格は下がる(PE1→PE2)
 
社会のカネ回り
先行きに不安を覚えれば、普通の人々は財布の紐を絞める。 銀行も貸付を抑え、企業も投資を控える。 それらは「先行き不安」に対する当然の反応である。 だが一方で、カネが回らないというのはカネの価値の上昇を意味する。 たとえ個人的なタンス貯金であろうが、それは通貨供給量の制限に他ならず、貨幣価値の上昇に微々たる程度ではあれ貢献しているのである。 それをデフレと言おうが何と言おうが、である。
 
 
  1. 通貨供給量が減る(MSMS2)
  2. すると金の価値(金利)が上がる(PE1PE2)
 
全体的な傾向として消費から貯蓄へ向かえば、将来への投資資金(貸付可能資金)が蓄えられることを意味する。
 
それからどうなる?
貸付可能資金が蓄えられるということは、貸付可能資金の供給が増えるということを意味する(下 法 すると金利は下がり、今度は企業が金を借りやすくなる(◆法 金を借りやすくなると、今度は投資がしやすくなる。 投資が増えると雇用が生まれる。 当たり前だが、企業というものは商売で儲けてから工場や事務所や物流センターを建てて人を雇うのではない。 逆に、先ずは建物や設備を準備し、人を採用し、それから商売をし、儲け、社員や株主に還元するのである。
 
 
 
投資がしやすくなれば雇用が生まれる。 雇用が生まれれば人は可処分所得を得る。 可処分所得が増えれば、消費は増える...
 
改めて、デフレとは何なのか
冒頭で挙げたウェブサイトが言うように、デフレにおいてはモノやサービスの価格だけでなくて給料も下がるし昇進も頭打ちになり、倒産も増え、雇用も不安定になる。 決して嬉しいものではなく、身にも心にもズッシリとこたえるものである。 デフレを例えて言えば、それは強制的に飲まされる解毒剤のようなものである。 
 
政府による経済への介入の結果生じた不均衡(毒素)を破産法を通じて清算(解毒)し、健康体へ戻そうとする現象である。 政府は金融政策、財政政策、規制、税制等によって様々なレベルで民間経済に介入する。 民間企業はそれらの状況を鑑みて行動する。 例えば政府が「電気自動車に補助金を出す!」と決めれば、電気自動車の市場性が自由経済においてどの程度であるか曖昧であっても「政府が後ろ盾だから」と投資をする企業が出てくる。 投資に対するリターンが一時的でもあれば更に投資をするだろうし、結局リターンが無いと気付いた経営者は頭を抱えるであろう。 こういった人為的につくられた歪みを除去する唯一の方法が「破産」である。 痛みを伴うが、避けようとすれば膿がたまるだけである。
 
デフレ(物価指数が下がっているのに消費が増えない現象)は上の図に示したように、「遅らされた消費」の一環なのであって、すなわち将来の「貸付可能資金」がつくられるプロセスである。 言い換えれば、政府主導で人為的に「脱却」してしまえば、将来あるべきはずの貸付可能資金は目先のやはり人為的につくられた消費のために消えて無くなってしまうのである。
 
デフレは痛みを伴う一種の解毒剤であるが、解毒しただけで健康体に戻るわけではない。 そもそも不健康体になった原因である「生活習慣(=介入)」も撤廃しなければならない。 1930年代のアメリカの大恐慌があれほど長引いたのは、まさしく生活習慣を直さず次から次へとニューディールという名の介入を行ったからである。
 
価格が下落し続ける環境において、人は「もっと値段が下がる」と思うから買い控えるのか? それも無いとは言わないが、今日のメシを来週に回そうといってもそれは無理である。 2年後のアイフォンを使いたいから今はサムソンで我慢しよう、と考えない人が多いからこれだけ多くの人が現在の最新機種であるアイフォン5Sを使うのである。 消費は落ち込むが、消えるわけではない。
 
デフレは国民自身が選んだ政府による政策の失敗のツケであり、無理に脱却しようと思えば逆にインフレ(値段が上がる)に振れるだけである。 人々の富を収奪し、企業家や起業家に間違ったメッセージを発して経済を混乱させるインフレは危険であり、不道徳である。 デフレの辛さを辛抱しつつ、財政健全化と規制撤廃を行い、来るべき再起の日に向けてせっせと貯蓄をせねばならないのである。
 
F.A. ハイエクは著書「自由の条件」にて、 「政府はデフレを回避しようとするよりも何よりも、インフレを阻止すべく全力を尽くさねばならない」と述べている。 アベノミクスによって、日本はデフレという解毒剤を飲むことも診断を受けて健康体を取り戻すことも拒否した。 本当の危機がやってくるのはカラ元気が醒めたときである。
 
 
参考:
デフレは危険ではない Why Deflation Isn't Harmful | by Jörg Guido Hülsmann
インフレは危険である How Inflation Hurts Businesses and Entrepreneurs  |  by Peter G. Klein
インフレを知る Understanding Inflation: Changes in Purchasing Power

 

タクシー料金規制 超党派的経済白痴

  • 2014.02.16 Sunday
  • 16:58
 

経済オンチという言い方があるが、経済白痴というべきではないか。 いわゆる経済政策、財政政策、金融政策と呼ばれる政府の政策のほとんどは経済白痴に分類されると言っても過言ではない。

 

政府の政策というものはどれも、こうすればこうなるハズ、という直線思考である。 こうすれば、あれがこうなって、これがこうなって、それがああなってという複線思考が無い。

 

昨年末に超党派で議会を通過したタクシー料金規制法。 正式には「改正タクシー事業適正化・活性化特別措置法」というらしい。 バカなくせに偉そうな名前である。 自民党、公明党、民主党日本には腐った政党しかないことをまたしても世に晒した。

 

この法案は、「過当競争」によって「不適正に」低くなったタクシー料金を、人為的にタクシー台数を減らすことによって、「適正な」価格へ戻すこと、そして、それによってタクシー運転手の待遇を向上させ、結果的にサービスレベルを向上させる、という意図のもと制定された。

 

意図はどうでもよい。 問題は間違っていることである。

 

競争には過当も適当もない。 供給者と需要者がいれば、双方において競争が発生するのである。 競争の度合いは、需要側であれ供給側であれ、それらがどれだけ希少であるかにかかっているのである。

 

モノの料金の適切性は特定の誰かが決定するものではない。 何百何千何万何十万という人々が、その日その時その場所で、買う買わないの一つ一つの判断を下し、それらがいつしか一定のベクトルとなって「価格」として収斂されるのである。 政治家やお役人が「タクシーの適正価格はいくらか」などと問う筋合いではないのである。

 

簡単な需要供給曲線で眺めてみる:

 

 

タクシー運転手の待遇改善もへったくれもない。 サービス向上もへったくれもない。

 

政府が手を触れるものはすべてがゴミとなるのである。 政府がタクシー業界に触れればタクシー業界がダメになるのである。 

 

それは政府関係者がバカだからなのか。 そうではない。 確かにバカも多い気がするが、政府が世の天才をかき集めたところで、結果は同じである。 それはなぜかといえば、どれほどの天才集団であろうが、我々一人一人の心の中を覗きこんで一瞬一瞬の行動を決める心の機微を掴むことなどどだい不可能だからである。 それが不完全ながらも出来るのは、タクシーの例で言えば、お客様と直に接するタクシーの運ちゃんだけなのである。

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